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2020年12月 8日 (火)

信州・上田城址

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【信州・上田城址】               画像クリック(拡大)

 六連銭がはためく英傑の城。 
 バスツアーの一団が城址への道を登って行った。

(8 December 2020  長野県上田市 上田城址)

●こちらのブログ記事もご覧ください城下町の通りで(上田市柳町)

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コメント

こんばんは!
去年、行きましたよ。
上田は真田氏一色のイメージでした。
本来、松代が真田氏で、上田は仙石氏→松平氏なんですがねぇ・・・。
その両氏のことは殆ど残ってなかったなぁ。
この城も仙石氏が再建したもので真田氏の頃の名残は殆ど無いはずなんですが・・・。
そんな事は城址の何処にも書いてなかったような。
私が野暮なのかなぁ・・・。

投稿: FUJIKAZE | 2020年12月 9日 (水) 17:49

FUJIKAZE様
真田氏と上田城の直接的な関りは、真田昌幸が天正11年(1583)8月24日に上田城を起工してから、真田信之が松代へ移封となる元和8年(1622)2月20日までの約40年間に及びます。
この間の、徳川軍との第1次、第2次上田合戦、大阪夏の陣での真田軍の戦ぶりとその顛末は概ね伝えられる通りとされており、古くから上田小県地方の人々の大きな誇りとなっています。
仙石氏→松平氏については、江戸時代の太平期に入った頃からのことであり、古文書等で広く研究されてきましたが、何分にも地味であるため一般には多くは知られておりません。
上田城自体は、関ケ原合戦の後、徳川の命令で主要部は廃却されたと伝えられており、後に仙石忠政が城郭修理の許可を幕府から得て着手するも未完成に終わったとされています。
真田氏の城址としては、むしろ歴史通のHUJIKAZEさんが先年訪れた真田郷の古い山城の方が深いものがあるかも知れませんね。

投稿: 蒼山庵 | 2020年12月10日 (木) 20:36

こんばんは。
新幹線で上田駅を通るたびに上田城址を探しては眺め、
徳川軍との上田城の攻防に思いをはせています(^^)
池波正太郎の大ファンで「真田太平記」は何度も読み返しているのです。

投稿: ナルコユリ | 2020年12月14日 (月) 20:16

ナルコユリ様
こんばんは
上田市内の原町(旧名)には「池波正太郎真田太平記念館」があります。 また真田郷(上田市真田)やその周辺には、真田家の菩提寺や所縁の寺院、崇敬していた神社、真田勃興期の山城(真田本城)や出城、屋敷跡、伝説の地など、太平記に出てくる古跡があります。
インターネットで巡ってみてください。

投稿: 蒼山庵 | 2020年12月15日 (火) 18:26

有難うございます(^^)
新型コロナが沈静化したら、帰省の折にでも寄ってみます。城の地形を見たいです。
池波氏の小説は梅安もの以外はほとんど読んでおり。真田物は全て読んでいるはずです。

投稿: ナルコユリ | 2020年12月15日 (火) 20:22

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