延喜式内 信濃国山家神社
【延喜式内 信濃国山家神社】 画像クリック(拡大)
信州真田郷の山家神社は、智謀と巧みな戦いで戦国を生き抜いた 「真田家」 ゆかりの神社です。 同神社には、真田家と私の生家に係る、凡そ次のような内容の古文書が残っています (大正十年同神社調べ)。
先祖の〇〇七左衛門昌貞が塩田郷の村の庄屋役を勤めていた時のこと。 真田信之公は上田城の鬼門除として山家神社を崇敬していた。 七左衛門昌貞は是に倣い、山家神社を信仰、真田公へ分霊御願書を差出した。 元和二年丙辰年(1616年)、山家神社神司 押森右源守は、山家神社分霊を勧請、村の北東に位置する横山と申す所に白山明神 (後に白山大権現と改む) を鎮座奉った。
1616年と云えば 「大阪夏の陣」 の翌年にあたります。 この古文書は、生家に係る最も古い記録となっています。 故郷の横山地籍の丘陵には 「白山大権現」を祀った社叢があって、遠くからもそれと分かります。 爾来四百有余年、毎年春に氏族によって祭事が営まれています。
正月三日、家内と山家神社へ詣でました。 遠い時代に思いを馳せた一日でありました。
(3 January 2020 長野県上田市真田町 長 山家神社にて)
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