からまつ考
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島崎藤村の作品に、東信州のからまつの景観についての記述が見あたらず不思議に思っていたが、井出孫六著 『新・千曲川のスケッチ』 に次のような一文があった。
明治十年から二十年にかけて、千曲川流域の佐久地方一帯に、ひとわたりからまつ苗の植え付けが終わり、佐久のからまつの苗は県外から海外にまで輸出されていった。(中略) ―― とはいうものの、からまつの苗が成木になるまでには少なくとも二十年はかかる。詩人島崎藤村が小諸義塾にやってくるのは明治三十二年(1899)のこと、六年間の滞在中、藤村は千曲川の畔を歩いてスケッチを残したが、まだ彼の目にカラマツ林の美しさが入ってこなかったのは当然のことだ。千曲川流域、佐久地方の風景が、からまつによって一変するまでにはいましばらくの時間が必要だった。
因みに、北原白秋が浅間山麓のからまつを目にして、詩 「落葉松」 をうたったのは大正十年(1921)という。
写真は晩秋の北佐久・蓼科牧場である。 牛馬の姿はすでになく金色に輝く落葉松林がどこまでも続いていた。
(6 November 2013 長野県北佐久郡立科町 蓼科牧場にて)
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