信濃高原観光アルバム・佐久版
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『 信濃高原観光アルバム・佐久版 』
・昭和十二年五月二十五日印刷 昭和十二年六月一日発行
・編輯兼印刷 発行者 長野縣南佐久郡小海村四二三八番地 篠原武
・発行所 長野縣南佐久郡小海村四二三八番地 信濃高原情報社
先日 ある方が、小海線沿線の古い観光案内書(昭和12年発行)をブログの参考にと 「読書の森」 へ託してくださった。
それは、表紙(写真上)と小海線沿線の観光物産地図(写真中、下)のほか、名所旧跡の写真、八ヶ岳連峯登山概念図からなり、無料で配られたものなのか この地方の旅館・商店・製材場・地酒などの広告が多数載っている。 表紙には昭和12年8月28日の野辺山駅の記念スタンプが押されている。
昭和12年といえば、支那事変(日中戦争)の勃発、日独伊防共協定の締結、兵士送迎用ラッパ太鼓隊が各校にできるなど、軍靴の音が次第に大きくなっていった年である。 庶民にしてみれば、不安を感じながらもその先にあった自分達の運命や国の行く末までは思いが及ばなかったに違いない。
この案内書からは、そんな時代背景とともに今を考える多くのものが読み取れる。
(平成21年5月6日 長野県小諸市 自宅にて)
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コメント
昭和12年 9歳の少年がその父と八ヶ岳登山した時の資料だそうです。
8月7日PM11時55分上野発 北陸線経由姫路行き普通列車
8月8日AM6時頃小諸着 8時58分小海行き、小海にて小淵沢行きに乗継、10時頃野辺山着
こんな時間だったそうです。
投稿: アーバンロート | 2009年5月 7日 (木) 10:24
アーバンロート様
父子は、野辺山から県界尾根を辿って八ヶ岳の主峰・赤岳を目指したものと
思われます。
この古い案内書には、今に続く商店や旅館の名前があったり、逆に金鉱、鉄鉱
軍馬市場、桃缶詰工場など今ではないものが載っています。
小海線の駅名も今とはずいぶん違っています。 鉄道ファンにとってもよい資料と
なることでしょう。 徐々に読み解いていこうと思います。
たいへん貴重な資料をありがとうございました。
蒼山庵 拝
投稿: 蒼山庵 | 2009年5月 7日 (木) 22:51