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2007年8月31日 (金)

小さなイス

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【小さなイス】

 南佐久の田口峠(1100m)を越えて関東側へ一里ほど下ると、広川原と馬坂の集落に出ます。 急傾斜地の段々畑、谷間にひっそりと屋根を寄せ合う民家。 馬坂川に沿って下って行くと、集落の子供たちが通っていた赤屋根の小さな分校があります。
 窓が開け放たれ、先生の声が、子供たちの声が、オルガンの音が、この緑深い谷間に響いていたのは、そう ~  随分と昔です。
 峠から流れくる晩夏の風に校庭を覆った葛の葉がかすかに揺れ、馬坂川の川音だけが静かに響いていました。 長野県南佐久郡臼田町立田口小学校狭岩分校、閉校になったのは昭和47年3月です。
 わが家の庭イスはこの分校で使われていたというイスです。  10年ほど前の夏の終りに知り合いの先生の紹介で譲り受けました。 昔懐かしいあの小さな木のイスです。 どんな子がどんな夢をもって座っていたのだろうかと、ふと想うことがあります。
                            (平成12年 夏の終りに)

17年間使ったこの小さな庭イスは、昨年の夏にその役目を終えました。 閉校 となって35年、山の分校がその後どうなったかは分りません。
                                     (平成19年 夏の終りに)

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コメント

素敵すぎます。
もしかしたら、ホワイトに塗られたのですか?その学校でそのイスに座っていた生徒さんが、今そのイスに座ったらどんな気持ちでしょう?昭和47年というと、私は小学校に入った頃・・・閉校の頃卒業された生徒さんは、今50歳くらいですよね・・・

投稿: みや | 2007年8月31日 (金) 21:49

みや様
 ブログ「今日のスパイス」 楽しく拝見しています。 みやさんの先生ぶり、素敵にまたほのぼのとしてきます。

 狭岩分校のある山の集落は今から40年以上も前に訪れました。 わが家の庭イスがこの分校で使われていたものと分かって、再び訪れたのは平成12年の夏・・・まるで時を遡るかのようでした。

 庭イスは、一念発起して手作りした机とともに毎年、白ペンキをせっせ、せっせと塗りましたので17年間も気持ち良く使うことができました。 ビールがいっそう美味しくなる庭イスでした。

投稿: 蒼山庵 | 2007年8月31日 (金) 23:29

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