2006年6月
2006年6月30日 (金)
2006年6月29日 (木)
2006年6月28日 (水)
2006年6月27日 (火)
8000m峰
マッキンリー (20 Sept.1989 北極回りアンカレッジ経由 成田行JAL機から)
【8000m峰】
品のよい老婦人が出てきた。 「 勝手が分かっていますから 」 と言うとキーを渡してくれた。 群馬県沼田市 ・ 山田昇ヒマラヤ資料館。 栄光と死と、かつて強靭な意志をもってヒマラヤ8000m峰に挑んだクライマーたちがいた。
昭和53年(1978年)、この年、ヒマラヤで死んだ日本人クライマーの数は、小暮ら群馬岳連隊の四人を含む六件、十三人に達した。 最強のクライマーと呼ばれた山田昇は、この時の群馬岳連隊・ダウラギリⅠ峰(8167m)を始めとし、エベレストを含む8000m峰、九座の登頂を果たすが、彼もまた平成元年(1989年)、冬のアラスカ・マッキリー(6149m)で小松、三枝とともに遭難死する。
―― もともと、そこは人間が生きることを許された場所ではない。 小暮の妻幸枝があげた名前のうち、八木原圀明、宮崎勉の二人を除いてすべて世を去っている。 皆、山に逝った。 是も非もない。
「これから宮崎さんのペンションに行きます」 と言うと、老婦人はくれぐれもよろしくお伝えをと言い、いつまでも見送ってくれた。
(平成18年6月24日 群馬県沼田市 山田昇ヒマラヤ資料館にて)
●参考文献
佐瀬 稔 著 『 ヒマラヤを駆け抜けた男 山田昇の青春譜 』
2006年6月26日 (月)
2006年6月25日 (日)
2006年6月24日 (土)
2006年6月23日 (金)
飛石
【飛石】
大雨が降ると、飛石の周りに水溜りができるようになったので、思い切って砕石を
入れ、飛石の配列を全面的に変えた。
石の表を見つめること三日 ―― 、 あの石庭の布石を越えたか?
われながら なかなかの出来ばえである。
(平成18年6月23日 蒼山庵)
2006年6月22日 (木)
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2006年6月12日 (月)
2006年6月11日 (日)
Contemporary Art
Contemporary Art Mari
「 わかるというよりは そのまま 感じていただければと 思っているのですが 」
四児の母という彼女を、ねこのしっぽ(末っ子)のおちびさんがのぞきこんでいた。
(平成18年6月10日 長野県 小諸市 御牧ヶ原 読書の森)
2006年6月10日 (土)
2006年6月 9日 (金)
2006年6月 8日 (木)
2006年6月 7日 (水)
浅間大滝
【浅間大滝】
渓谷の水は熊川、吾妻川をくだり、利根川となって太平洋へ注いでいます。
―― 上信国境、分水嶺直下の瀑布、北軽井沢・浅間大滝。
(平成18年6月 群馬県 吾妻郡 長野原町 北軽井沢)
●リンク記事 : 八滝 (長野県上高井郡)
2006年6月 6日 (火)
2006年6月 5日 (月)
2006年6月 4日 (日)
アヤメ
【 アヤメ 】
本の間から、手紙の下書と思えるメモがでてきた ―― 家内の父の筆跡である。
「 ハイビスカスの花を見ると、中部太平洋の戦で、トカゲを喰いネズミを喰い生き長らえた凄絶な日々が思い出される…… 」 と記されていた。
この六月(平成14年)、義父は八十一歳の生涯を閉じた。
座敷の鴨居に戦闘帽が掛けてあった。 それは色あせて擦り切れ、ところどころに戦地で直したであろう繕いの痕があった。 復員後、工場経営などで人一倍苦労をしたようであるが、「 この戦闘帽を見ると、どんなことでも頑張りとおすことができた 」と、孫たちに言っていた。 穏やかで実直な人柄であった。 四人の娘は戦闘帽をそっと鴨居から外して父親の胸においた。
告別式の日、遠くから戦友のご家族がみえられた。 中部太平洋・クサイエ島守備隊・連隊本部第一中隊で一緒だった上伊那郡高遠町の前田さんのご家族であった。 義父ら約5千の日本兵は米軍の熾烈な爆撃と艦砲射撃にさらされ、補給が途絶えた島は "飢餓の島" と化していったという。
前田さんのことはよく口にしていた。生死を共にした同郷の戦友として、またその人柄に格別の思いがあったようである。 義父の初命日を前に、家内の母と高遠町のお宅を訪ねた。 前田さんは八年ほど前に亡くなられている。 夫人は 「 お父さん 佐久から清水さんの奥さんがおみえですよ 」 遺影にやさしく話しかけるように言った。 そして義母の手をとって、遠いところをよく来ていたいただいたと声をつまらせた。
―― 家の周りに、前田さんと夫人が一緒に植えたという アヤメ が咲いていた。 義父が好きだった花である。
(29 June 2002 長野県 上伊那郡 高遠町)
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