椿 (Camellia japonica)
【椿 (Camellia japonica)】
桜井夫妻と、信州・高山村に古桜を訪ねた帰りに立ち寄った泉石亭。
"つくばい"にうかぶ二輪の椿。 和の花三昧、そんな一日でした。
(平成18年4月30日 長野県 上高井郡 小布施町 )
【椿 (Camellia japonica)】
桜井夫妻と、信州・高山村に古桜を訪ねた帰りに立ち寄った泉石亭。
"つくばい"にうかぶ二輪の椿。 和の花三昧、そんな一日でした。
(平成18年4月30日 長野県 上高井郡 小布施町 )
【野倉の夫婦道祖神 (めおと道祖神)】
塩田平の昔の姿は…… 信州の鎌倉とよばれる塩田平の郷土史研究は、学校の先生方を中心に昭和二十年代から急速に進んだと云われています。
私の父もその一人でした。 郷土を記す古文書が極めて少ないことから、神社、寺院、集落などに残る石造物の造立年代、様式、由緒、謂れなどを調べることで、その集落の成立や変遷を推定するといった手法をとっていたようです。
小学生だった私は、そんな父の調査によくお供をしたものでした。 野倉の夫婦道祖神もその一つでした。 当時は集落の外は知る人もなく、草叢に静かに祀られていたのを覚えています。
写真の初代説明板は後年、野倉集落からの依頼で、父が自ら筆を執ったものです(昭和52年)。 歳月がながれて現在は二代目になっていますが、改めて読んでみますと、民俗的な視点で書かれた、なかなか味のある文章だと思えてきます。 説明板の裏には、ありがたいことに当時の大工さん、集落の工事委員さんと並んで、編集人として父の名が記されていました。
集落の人の話しでは、今では四季をとおして随分たくさんの方が訪れるとのことです。 四月、女神岳に抱かれた夫婦道祖神の里は桜が満開で、遠く、残雪に輝く美ヶ原が見えておりました。
(平成18年4月26日 長野県上田市 野倉)
【カタクリ (Erythronium japonicum)】
四十年ほど前の春。 大糸線の神城駅で下車し、独り遠見小屋へむかっていた。 重いキスリングを背に歩き始めたばかりであったから、ゆるやかな斜面であったが、息があがりそうになっていた。 ペースを整え、ひたすら足元を見詰めて上がって行った私は、視界にフッと、入ってきた色に思わず声を上げた。 それは、雪解けの地表に点々と拡がっていた ―― カタクリの大群落の中にいたのである。
あまりにも唐突な、カタクリとの初めての出合いであった。 そこから先は深い残雪で、小屋のある尾根へと急登が続いていた。
(写真 : 平成18年4月 長野県 立科町)
【新顔】
ノラ、クロ、シャム、ドラノ介、チビ丸、しし丸 ・・・ 毎日のようにやってきては、
騒動を巻き起こしていくネコたちである。 家内とは長く戦闘状態にある。 庭箒が
飛び、土くれが飛び交うが、当たったためしはない。
またまた新顔が現れた。 精悍な顔に立派なヒゲ! 見るからに手強そうである。
" シロヒゲ "と名づけた。
(平成18年4月15日 蒼山庵)
【 ステンドグラス(旧中込学校) 】
信州・佐久平のほぼ真ん中に、現存する 「木造の洋風学校建築」 では日本で最も古いといわれる校舎が残っている。 二階造りで正面にポーチとベランダ、屋根に八角形の尖塔を配した美しい建物である。
鉄道も電燈もない時代、中央から遠く離れた信州の農村で、しかも建てられたのは維新まもない明治8年(1875)というから驚きである。 佐久人の進取の気風と教育への厚い思いが伝わってくる。
階段を上がると、中央廊下の正面に円形の大きなステンドグラスが子供たちの背丈に合わせたようにはめ込まれている。 外光が赤、青、緑、黄色の光りとなって射しこみ、あたりを明るく照らしている。 ここに学んだ子供たちは、その光りの中に、いち早く、新しい時代の到来と開かれた世界を知り、夢を育んだに違いない。
この洋風校舎は 「旧中込学校」 と呼ばれ、現在は教育資料館になっている。 国の重要文化財に指定されている。
(31 March 2002 長野県 佐久市中込 旧中込学校にて)
【南極】
1748年に作成されたというベリーンの世界地図をみると、極地は空白のままである。 南極大陸の調査は1840~1843年の、ロス(英)による沿岸航海調査に始まる。 アムンゼン(ノ)、スコット(英)、白瀬中尉(日)が、氷のロス湾から南極点到達を競ったのは1911年(明治44)であった。 時代がくだって、南緯70度に昭和基地が設けられたのは1957年(昭和32)である。
先日、思いがけないことに第44次南極地域観測隊から感謝状が送られてきた。 技術協力への感謝と、11月28日に南極へ出発する旨が記されていて、 厳しい自然の中、国民の皆さまの期待に沿うべく任務を遂行するため全力を尽くす所存でございますと、結んであった。 環境機器に関する研修協力に対して、受入部門であった私宛に送られたものと思われた。
子供たちに勇気と夢を…… 第44次観測隊皆さまの安全とご活躍を心からお祈りいたしますと礼状に記した。 思えば、昭和30年代初頭、当時、中学生であった私は、極寒の自然に立ち向う観測隊の姿や、次第に明らかになっていく白い大陸の様子に随分心を躍らせたものである。 それはそのまま技術系の仕事に進むきっかけであったように思えてくるのである。
(17 November 2002)
【鉄平石】
家を建てる時に、佐久地方の天然素材をと、大工さんと相談して使ったのが、
鉄平石 (写真) です。
この薄い板状の石は安山岩の一種で、太古、八ヶ岳火山群の噴出した溶岩が
冷えて固まる際に、微妙な冷却条件によって20mm前後の厚さに規則正しくひび
割れしたものといわれています。
南佐久の余地、北佐久の望月、諏訪の霧ケ峰などで採石され、古くから屋根材
や敷石、石壁などに利用されてきました。 落ちついた品のある風合は、天然なら
ではのなかなか良い素材といえます。 八ヶ岳生成期のものというのも、何かうれ
しい気がします。
(平成18年4月4日 蒼山庵)
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