2006年2月
2006年2月28日 (火)
2006年2月27日 (月)
2006年2月26日 (日)
ウォーキング
【ウォーキング】
僕は、高原の茶房 「読書の森」 の「ノン 」といいます。 僕の茶房には、素敵な人たちがたくさんやってきます。 綺麗なおねえさん、カッコイイおにいさん、かつてそうだったというお洒落な人たち、それに子どもたち。 みんな、みんな、声をかけたり、話しかけたりしてくれるので、僕はいつもご機嫌です。
そんな中に週末になると、きまってやってくる T氏 がいます。 珈琲をのんでいたかと思うと、すぐに外へ飛び出していきます。 まるでつむじ風のような人ですが、 " 何だか面白そう! " なので、いつもついて行くことにしています。
T氏は、ウオーキングだと云っていますが、御牧のコル、東森、ヒマム池、農大の丘、狼森、小麦畑の丘…… それはもう、広いひろい御牧ヶ原の台地を、どこまでもどこまでも行くのですから愉快です。
このウオーキングで、顔見知りが随分ふえました。 牧羊犬の「クロ」、一軒屋の「茶々丸」、ミニホースの「モコモコ」、それに農大の「牛さん」たちです。 みんな、みんな、この広い台地の住人です。 途中で皆の小舎を覗いたり、挨拶したりしますから、いつの間にか、T氏と離ればなれになってしまうことがあります。 そんな時、きまって、T氏の大声が聞こえてきます。
「 ノンの バカ ~ 真面目に 歩け ~ 」
「バカ~」は余計ですし、「真面目に歩け~」 というのもナンだか変な言葉ですね。
(平成18年2月26日 長野県小諸市 御牧ヶ原 茶房・読書の森)
2006年2月25日 (土)
2006年2月24日 (金)
白い橋
【白い橋】
信濃追分 ・・・ 森の中に続く、農業用水温水路。
流れるともなくながれる浅い水面に、マガモが三羽、眠りこけている。
白い橋の小径は、森の奥へと続いている。
(平成18年2月 長野県軽井沢町)
2006年2月23日 (木)
帝國中牛馬会社
「 帝國中牛馬会社・小山五左衛門 」 と印された看板。 小諸市与良町・旧北国街道の通り。 町並整備の一環として、かつて、その場所にあった会社名を標した歴史看板のようです。
「中牛馬」。 不思議な言葉ですが、江戸時代、宿駅問屋制度による公的運輸のほかに、農民による、牛馬を使った請負運輸があり、これを 「中馬(ちゅうま)」 と呼んでいたようです。
三州街道(伊那街道)では、信濃の特産物や東海地方の塩、海産物など、生活物資の輸送に、一日千頭をこえる中馬の往来があったと伝えられています。佐久地方では、正式の中馬は許可されていませんでした。
明治になって、宿駅問屋制度が廃止になると、それに代わる 「中牛馬会社」が全国で設立されました。 「中牛馬(ちゅうぎゅうば)」 は、いわば当時の業界用語であったわけです。
それにしても、大日本帝國の、帝國の二文字を冠にいただく、この社名は、この地方の運送業を担った人々の意気込みが感じられ、興味深いものがあります。
(平成18年2月23日 長野県小諸市 与良町)
●桜井夫妻からメールがありました。 中馬に係る歴史や文化は、ミュージアムパーク 「伊那谷道中(長野県飯田市)」 へ行くと、詳しくで展示されているとのことです。 中馬の語源は、手馬、通馬、賃馬、中継ぎ馬など諸説があるようです。
2006年2月22日 (水)
2006年2月21日 (火)
2006年2月20日 (月)
2006年2月19日 (日)
2006年2月18日 (土)
Datsun Fairlady 1500
【 Datsun Fairlady 1500 】
写真は、昭和40年代前半に購入した初めての車 「長野5 せ57‐51」、SP310型 ダットサン フェアレディー1500 (1965年製) である。 L4 OHV ツインキャブレター 1488CC 71PS。 往年の車好きにとっては、堪らなく懐かしいモデルである。
発売は1962年、日本で最初の本格スポーツカーといわれ、現在のフェアレディーのはじまりとなった車である。 その愛称にふさわしく、スタイリッシュなバディーに、DATSUNのエンブレム、つややかなメタリックカラー。 じゃじゃ馬娘よろしく、その気まぐれな気性には随分てこずったが、工業化そして高度経済成長、人皆、意気に燃えていた旧き良き時代の、思い出深い一台である。
現在、わが家の車は八代目になる。 家内そして子供たちが写る、その時代その時々の車たちの写真は、さながら、わが家族史である。
(平成18年2月18日 蒼山庵)
2006年2月17日 (金)
2006年2月16日 (木)
大日如来像
中仙道 ・ 塩名田の宿。 御馬寄(みまよせ)の街道を上がりきった台上に
天空を背に坐す、大日如来像。
人々ははるか昔から、その大らかさを愛し幸せを願ってきました。 一切衆生は、大日さまの深い優しさに抱かれています。 合 掌
それにしても この石像は、仏教宇宙観をとらえて見事です。 だれの手によるものなのでしょう。
(平成18年2月 長野県佐久市)
2006年2月15日 (水)
2006年2月14日 (火)
2006年2月13日 (月)
2006年2月12日 (日)
茨海小学校
茨海小学校
ずうっと向うの方で、ベルの鳴る音を聞きました。 それはどこの学校でも鳴らすベルのようで、空の白いうろこ雲まで響いたのです。
先生は私の方へやって来ました。 「 ご参観でいらっしゃいますか 」
(岩手県花巻市・宮沢賢治記念館で : 『茨海小学校』 原稿より)
花巻旅行から帰ってしばらくたったある日、不思議な電子郵便が届きました。 そこには、たった一行 「 茨海小学校へおいでんなさい 」 とだけ書かれていたのです。 差出人は茨海尋常小学校乙種用務員、差出人の住所は ”北緯36度18分37秒、東経138度23分51秒” となっておりました。
そこは遠くがまるで見えないくらい広い青々とした野原でした。 白い道が まっすぐのびていて、その先に分教場のような赤い屋根がポツンと見えました。
(あぁ、あそこだな……と思いました)
ずんずん歩いてゆきますと、やがて子どもたちの声が聞こえてきて、その声はだんだん大きくなってきたのです。 でも不思議なことに何を言っているのかまるで分からないのです。
玄関に立って、廊下の奥に向かって声をかけようとした、その時です。 子どもたちの声が一瞬止まり静まり返ったかと思うと、「 どぉーっ 」 と風が吹いてきて、ごぉぅごぉぅと鳴ったのです。 校舎はギシギシ鳴り、窓ガラスはギラっと光り、草や木はみんな青白く泡立って「わぁーん 」 と声をあげました。 目がチカチカしてその中を 「 茨海狐小学校 」 と書かれた校札がぐるぐるまわって飛んで行くのを見たような気がしました―― 後のことはよく覚えておりません。
そんなことがあってからも 時々、 「 茨海小学校へおいでんなさい 」 とだけ書かれた不思議な電子郵便が届きます。 差出人の用務員さんに会えたかどうか、それは秘密です。
(April 2005 岩手県花巻市/長野県小諸市 御牧ヶ原)
2006年2月11日 (土)
2006年2月10日 (金)
2006年2月 9日 (木)
2006年2月 8日 (水)
2月4日
「2月4日・・・」 ほかにも何か約束事があったような気がしていたが、思い出せないでいた。 新幹線に飛び乗った頃にはそれも忘れていた。
一日を終え帰宅すると、”なんとも可愛い花” が机を飾っていた。 長男の嫁さんからのプレゼントという。
「結婚記念日!」 だったのである。
結婚の日すら忘れかけている夫婦は
若い人の目にはどのように映るのだろうかと可笑しかった。
”過ぎし時は永遠に そして新たに”
家内と、長男の嫁さんお薦めの映画 「オールウェイズ三丁目の夕日」 を観にいくことにした。
(平成18年2月4日 蒼山庵)
2006年2月 7日 (火)
2006年2月 6日 (月)
南谷の鳥たち
「南谷」に大きな鳥影 ・・・ トビです。 蒼山庵を南へ下ったこの谷は、浅間火山が1~2万年前に噴出した柔らかい堆積層を川が侵食してできた、この地方特有の凹字形の谷です。
- 谷幅は100m前後、両側は高さ5~15mの白い崖になっていて、千曲川から御代田方面へ 約4kmにわたって延びています。
平らな底部は水田が広がり、川が流れ、雑木林と茂みが崖に沿って続いています。 野鳥にとっては、採食地、水場、ねぐらが整った絶好の棲みかであるようです。
探鳥もウオーキングの愉しさです。 この1月、南谷で出会った鳥たちは凡そ次のとおり(17種類)です。 四季折々、どんな鳥たちに会えるか、興味がわいてきます。
エナガ、シジュウカラ、スズメ、頬白、ジョウビタキ、セグロセキレイ、モズ、ムクドリ、ヒヨドリ、ツグミ、キジバト、ヤマシギ(タシギ?)、キジ、ヤマドリ、カラス、トビ、アオサギ
(平成18年2月6日 長野県小諸市三岡)
2006年2月 5日 (日)
2006年2月 4日 (土)
また・冬のかたち(氷瀑)
遅くに東京から帰ってくると、桜井夫妻から写真メールが届いていました。
30mの氷瀑、南佐久郡北相木村 「三滝・大禅の滝」 です。
「 山中深く 天空の光りを宿す 薄夢色の滝 」 と、メールは結んでありました。
●桜井夫妻撮影 「冬の三滝」
(長野県南佐久郡北相木村)
(平成18年2月4日)
●リンク記事 : 番所大滝
(長野県乗鞍高原)
2006年2月 3日 (金)
信濃追分にて
【信濃追分にて】
郵便函は荒物店の軒にゐた
手紙をいれに 真昼の日傘をさして
別荘のお嬢さんが来ると 彼は無精者らしく口をひらき
お嬢さんは急にかなしくなり ひっそりとした街道を帰って行く
(立原道造詩集より)
旧い街道を行くと、骨董・古道具を売る店先に赤い丸ポストがすまし顔でたっていた。 夭折の詩人が滞在したという旅館はすぐそこであった。
(Sept.2004 長野県北佐久郡軽井沢町 追分)
●こちらの記事もどうぞ → 丸ポストのある風景(北国街道・小諸宿)
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