富士山
【 富士山 】
「富士山がよく見えたでしょう」、先日のブログ写真 『清泉寮にて』 を見た山好きの方から、そんなメールがありました。 えぇ…… 近過ぎず、遠過ぎず、その高さも、その大きさも、その容も、実に堂々としていました。
時が過ぎて、この界隈は随分変りましたけれども、奥秩父、富士山、南アルプス、そして八ヶ岳、ぐるり見わたす山々はあの時のままです。
(Photo,: 25 January 2006 山梨県高根町清里 清泉寮にて)
【 富士山 】
「富士山がよく見えたでしょう」、先日のブログ写真 『清泉寮にて』 を見た山好きの方から、そんなメールがありました。 えぇ…… 近過ぎず、遠過ぎず、その高さも、その大きさも、その容も、実に堂々としていました。
時が過ぎて、この界隈は随分変りましたけれども、奥秩父、富士山、南アルプス、そして八ヶ岳、ぐるり見わたす山々はあの時のままです。
(Photo,: 25 January 2006 山梨県高根町清里 清泉寮にて)
【事象波形】
写真は、家庭用の交流100Vをオシロスコープで観測した波形である。
e = Em sinωt で表せる、なめらかに美しく変化する波形、いわゆるサインカーブである。 オシロスコープは、電気電子のほか、振動、変位、歪み、圧力といった様々な事象の観測や解析に用いられる。
自動販売機、NC装置、繊維機械、工作機械、産業機械、流体応用装置、微生物応用装置などなど、多くの製品開発に携わってきたが、出口がまるで見えないような技術問題にぶつかることも多々あった。 解決の糸口が見つからず、自負心が揺らぎに揺らぐこともあった。
試行錯誤の中で見つめ続けた「事象波形」 …… 随分働いてくれたこのオシロスコープもそろそろ交代かと思う。
(April 2004 研究室にて)
Zizyphus jujuba var.inermis
凍みの朝を何度か経験しましたので、少々、小皺がふえましたが、口紅色の艶やかさは健在です。
(平成18年1月26日 長野県小諸市
美里駅近くで)
【白鳥(しらとり)】 日本武尊(やまとたけるのみこと)が白鳥(しらとり)になって飛び去った、あるいは飛んできたという “白鳥伝説” は全国にひろく残っています。
白鳥(しらとり)は地方地方で、ハクチョウとも、ハクツルとも、シラサギとも言い伝えられています。
今日、桜井夫妻から、千曲川にハクチョウ飛んできていると、写真メールが届きました。 古人も見たに違いないハクチョウ ・・・ 人々はその端整な姿に 悲劇の英雄の姿を重ね、思いを託したのでしょう。
(平成18年1月20日 長野県佐久市太田部 千曲川)
●千曲川に飛来したコハクチョウ : 桜井夫妻撮影 (佐久市太田部 千曲川)
●白鳥神社(しらとり神社) : 東信州では北国街道・海野宿のはずれに千曲川に面して神社があります。 日本武尊が白鳥になって飛んできて集落で羽根を休めたとの伝説が伝わっています。
本のお礼ですと、浅科村産の ”凍み豆腐” をいただいた。 農家の副業で作られているという、昔ながらのワラで編んだ一連である。
台所の赤唐辛子と一緒に下げたら、なんだか満ちたりた思いがする。 保存食が持つ、人への安心作用といったものなのだろう。
( 20 Feb.’05 蒼山庵 )
笠原工業株式会社は、バイオテクノロジー・化学・電子の分野で広く活動している会社です。 開発事業の関係でお付合いをして10年以上になります。
先日、製糸業であった時代の「生糸商標(写真原寸)」が、倉庫から出てきたという ので見せていただくことにしました。
生糸商標は、国内の製糸会社が製品である生糸の一束一束に付けた、社名・生産地・品質(等級)等を図案化した品質証紙で、輸出を配慮したものであったようです。
製糸会社は競うように特徴的な生糸商標をつくったと云います。 明治初期のものなどは、コレクターにとってはまさに垂涎の的とのことでした。 この商標の価値はよく分かりませんが、10枚ほど頂戴することにしました。 ノスタルジックな雰囲気が気に入ったので、本の栞にしようと思ったのです。 “猫に小判であれば もっと良い” と思ったのも事実です。
(平成16年4月 長野県上田市)
●笠原工業 常田館・絹の文化資料室
この会社の、明治42年築という洋館(常田館)には、日本の近代化とともに歩んできた製糸業界の貴重な文化資料が保存・展示されています。 またこの洋館は、映画のロケーションや、種々展示会に開放するなど、多くの文化活動に利用されています。 歴史ある会社ならではの配慮に感心させられます。
(写真 : 資料室に昭和天皇皇后両陛下が行幸された時の玉座がありました)
【 蚕都の記憶 (繭倉)】
長野新幹線の上田駅の近くに、旧製糸会社の大きな “繭倉” が残っています。 上田を中心とする上田小県地方はかつて一大養蚕地帯でありました。 上田蚕糸専門学校(現信州大学繊維学部)、小県蚕業学校(現上田東高校)といった、蚕種・養蚕・製糸の専門学校が置かれ、街には製糸場の大きな煙突が並んでいました。
塩田平の私の生家も養蚕農家でした。父親が学校の教師をしていましたから、養蚕や日々の農作業のほとんどは母親が切り盛りをしていました。 それはたいへんな労力で、時々作男の人がきておりましたが、私たち子供もそれはもう懸命になって手伝ったものでした。 春蚕(はるご)そして夏蚕(なつご)―― 桑を食むあの細雨のような音が、今でも耳の奥底で聞こえるような気がします。
先日、会議があって旧製糸会社であった会社へ出向きました。 初秋の陽射しの中に ”しだれ桑” の並木が美しく、白壁の大きな繭倉が往時を物語るかのようにそびえていました。 この地方に近代化をもたらし、今に続く諸産業の発展のもとを築いた養蚕、製糸に携わった人々の気概を感じます。
(Photo .: September 2003 長野県上田市 笠原工業(株)にて)
この大きな繭倉は現在、製品倉庫として使用されています。旧製糸会社であった会社はバイオテクノロジー・化学・電子の分野で海外へ広く事業を展開しています。
農林水産省の平成12年度統計は、長野県の養蚕農家は僅か196戸と伝えています。
上信国境の内山峠(1100m)は、古くは佐久の米と酒、関東からはタバコ、茶、雑貨などが運ばれた交易の峠でありました。 江戸・明治の中央の文化や情報もまた荷駄とともにこの峠を越えて佐久地方に伝えられました。
明治中期、信越本線が開通するとこの峠は時流から次第に取り残されていきましたが、昭和50年代、車社会に呼応して開削されたトンネルと新道によって主要道・国道254号線として蘇りました。
秋、佐久市街から峠への約8Kmの道筋は、地元の人たちが丹精をこめたコスモスが見事な花の道となって続き 「コスモス街道」 の名で親しまれています。
山里にゆれるコスモスの花 ―― コスモスはメキシコ原産で、文明開化の頃にヨーロッパから伝わったと云われています。「信州へはこの峠を越えて伝えられたのかも知れない」 そんなふうに思えてきます。
(September 2002 長野県佐久市 内山)
雪の大法寺・国宝三重塔 (長野県青木村)
●写真をクリックしますと拡大写真になります。
大法寺は、大宝元年(701年)創立(寺伝)と伝えられる古刹です。 雪降りしきる中を観音堂にお参りをする若者の姿がありました。 お堂には 「十一面観世音菩薩(重文・藤原時代)」 が秘められています。 観音堂の上方に立つ 「国宝・三重塔」 は正慶二年(1333年)の建立で、純和様の優美な姿は 「見返りの塔」 として参詣者に感動をあたえています。
1333年といえば鎌倉幕府滅亡の年でもあります。 この地を治めていた幕府直系の塩田北条氏も鎌倉へ馳せ参じて一族とともに滅び去っています。
―― 諸行無常、昔語りをするかのように雪が降り続いておりました。
(平成18年1月3日 長野県小県郡青木村当郷)
【見返りの塔】 信濃国 天台宗大法寺・国宝三重塔
人は その塔を 「見返りの塔」 と呼ぶ
雪のなかにみる 七百年前の精神(こころ)
(平成18年1月3日 長野県青木村当郷)
(見返りの塔…… 続き)
https://sozanan.cocolog-nifty.com/mount_/2006/01/post_6a7d.html
あけましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いいたします
みなさまにとりましてこの一年がすばらしい年であり ますようお祈りいたします
平成十八年 元 旦 蒼山庵
●新春 生け花
長男・嫁 Ritsuko 作
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