2005年12月
2005年12月31日 (土)
2005年12月30日 (金)
2005年12月29日 (木)
2005年12月28日 (水)
セグロセキレイ (Motacilla grandis)
12月の南谷。 雪の川岸で“せかせか”動いている鳥影はセグロセキレイです。 ツッペッタ(方言)のか、脚が雪だらけです。
セグロセキレイは日本ではごく普通に見られる鳥ですが、生息地が日本列島だけであることから、外国の探鳥家たちの間では一度は観てみたい「憧れの鳥」と云われているようです。 そんなふうに云われて観れば、ブラック&ホワイトのフォーマルな装いといい、澄みわたった声といい、なにやら気品が感じられてきます。
(平成17年12月 長野県小諸市)
2005年12月27日 (火)
2005年12月26日 (月)
2005年12月25日 (日)
2005年12月24日 (土)
2005年12月23日 (金)
2005年12月22日 (木)
初恋ポスト
【 初恋ポスト 】 画像クリック(拡大)
小諸市街から千曲川方面へ下る坂道に 「初恋ポスト」 と呼ばれる丸ポストがあります。 「まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき ……」 島崎藤村の若菜集 『初恋』 に因んで名付けられたというポストです。
『千曲川のスケッチ』 そして 『破戒』 へ、 一人の作家の心の軌跡を残す街 「小諸」。 丸ポストの向うに清澄な東信濃の冬空が広がっておりました。
(平成17年12月 長野県小諸市 中棚荘前)
●こちらの記事もどうぞ → 丸ポストのある風景(中山道・和田宿にて)
2005年12月21日 (水)
2005年12月20日 (火)
2005年12月19日 (月)
2005年12月18日 (日)
2005年12月17日 (土)
信州の鎌倉・塩田
私の生家は信州・塩田平(長野県上田市)です。 先週、”うまい酒を呑もう会” という、訳がわかったような、わからないような会が上田市内でありまして、久し振りに出席しました。
その中で、TVや雑誌で宣伝され、観光地として人気の、 「信州の鎌倉・塩田」のキャッチフレーズは、いったいいつ、誰が思いついたのだろうかと、話題になりました。 地元ならではの話題です。
郷土史の研究をしていた父親から、二昔も前に聞いた話ですが、昭和42年発行の一冊の本(下記)がきっかけであったようです。 この本で 初めて「信州の鎌倉」 という言葉が使われ、その経緯が説明されています。 父親も執筆者の一人でした。 ところどころにそれらしい文章があり、懐かしい思いがします。 「温故知新」 久し振りに塩田平をゆっくり巡ってみたいと思い始めています。
『 信州の鎌倉 塩 田 その文化財と史跡 』
発 行 昭和42年8月31日
編 集 塩田町観光開発委員会 史跡文化編集部
発行者 長野県小県郡塩田町
印刷所 上田市中沢印刷株式会社
写真 信州の鎌倉・塩田 安楽寺・国宝唐様八角三重塔 「水煙」
(平成17年12月 長野県上田市)
2005年12月16日 (金)
2005年12月15日 (木)
2005年12月14日 (水)
ロートレック
今年の二月でしたか、日本シャンソン館のミュージアムショップ 「ラ・ファミーユ」でロートレックのポスター「Jane Avril」をみつけました。
ロートレックといいますと、浮世絵の影響を強くうけたという画風とともに”酒場”、”無頼”、”放蕩”と云った素敵な言葉がうかんできます。 男の “さが” といいますか、憧れといいますか、そんな言葉です。
額縁を特注して玄関にかけましたが、女性たちの評判はいま一つです。
(平成17年12月14日
長野県小諸市蒼山庵)
●ロートレック (1864~1901年)
フランス 後期印象派
●Jane Avril 1896年作
2005年12月13日 (火)
北国
雪降る通りの奥に、空の色をしたドアがあった。
過ぎ去った時を封印してしまったかのような、空の色をしたドアがあった。
かすかに聴こえる、旧いジャズの調べ、客のざわめき。
雪降る通りの奥に、空の色をしたドアがあった。
(平成17年12月13日)
2005年12月12日 (月)
2005年12月11日 (日)
霜
霜という現象を「広辞林」は次のように説明しています。
「晴夜に気温が低下して氷点以下に及ぶとき、大気中の水蒸気が地表や草木に凝結して白色の細氷となったもの」
今朝も「うす霜」が降りました。 ウオーキングに下りていった「南谷」も白い谷にかわっていました。 道端の草が白く様々な表情をみせています。
このようにきれいな現象をみますと、前文の説明に、何か気の利いた形容詞を書き添えたくなります。
(平成17年12月10日 長野県小諸市)
2005年12月10日 (土)
2005年12月 9日 (金)
キカラスウリ(Trichosanthes Kirilowii var.japonica)
冬枯れの「南谷」で、温かな黄色に目がとまった。 ゴム毬ほどの黄色い実 …… 図鑑で調べてみると 「キカラスウリ」 とある。 「日本列島に広く分布する多年生のつる植物で、花・果実は観賞用になる。 塊根からは澱粉がとれ、また根は整腸薬、解熱薬、種子は鎮咳薬、鎮痛薬として古くから利用されてきた」 とある。
名前に似ず、随分と有用なありがたい植物ということになる。
(平成17年12月9日 長野県小諸市)
2005年12月 8日 (木)
2005年12月 7日 (水)
ジョウビタキ (Phoenicurus auroreus)
今年もまた「ジョウビタキ」がやってきました。大陸からの渡り鳥です。 カッ カッと鳴く声…… 藪から藪、庭から庭へ忙しく渡り歩いて “冬到来”を告げています。
TVが、日本列島をシベリヤ寒気団が通過していると伝えています。 山は雪模様です
(平成17年12月7日 長野県小諸市・蒼山庵)
2005年12月 6日 (火)
2005年12月 5日 (月)
2005年12月 4日 (日)
千曲川のつり橋(大杭橋)
◇千曲川・大杭橋
◇千曲川・もどり橋(明治時代 木製つり橋) ・ 川上純夫氏蔵絵葉書
【千曲川のつり橋(大杭橋)】
写真(上)は小諸市の小原と大杭の集落をむすぶ「大杭橋」です。 下流に橋脚の高さが80mもある小諸大橋ができて、地元の人々が大切にしてきたこのつり橋もその役目を終えました。 橋の袂にはひなびた温泉宿(湯の瀬温泉)があって、千曲川の清流に遊ぶ旅人やつり人の姿があります。
佐久地方で千曲川に本格的な橋が架けられるようになったのは明治中期といわれています。 その多くは 「木製のつり橋(写真下参照)」 で、時代とともに、「鉄筋コンクリート門形のつり橋」 へ、さらに 「 トラス、ローゼ、ランガー、箱桁 」 といった構造の近代橋梁へと架け替えられていきました。 小諸懐古園近くの 「大久保橋」や「もどり橋」 のように、かつてそれがつり橋であったことを物語るコンクリート製の門形柱や橋脚を残している橋もあります。 脇には大概、旧い記念碑があって、先人たちの橋への強い思いを知ることができます。
30年くらい前までは千曲川の上流や支流にはたくさんのつり橋が見られましたが、今では知る限りではこの大杭橋と、滑津川の 中込橋 、 杉ノ木橋 の三つだけになってしまいました。 つり橋のある風景―― 心惹かれる風景です。
(平成14年5月19日 長野県小諸市大杭で)
2005年12月 3日 (土)
珈琲工房やませみ
【珈琲工房やませみ】 わが家の珈琲豆は 「珈琲工房やませみ」 にお願いしています。 今朝、工房から電話がありました。「 引越しが済みましたのでおいでください。 内山の国道に近い山中です。すっかり気に入っています。」
以前の工房は小諸にあったのですが、隣に工場が出来てしまいやむなく引越し先を探していたのでした。
新たな工房は佐久市内山の別荘地に建つ感じのよいログハウスです。 [ 自家焙煎 珈琲豆屋 深煎り珈琲の美味しさ YAMASEMI ] やや遠慮がちの看板がでています。 オーナーのやませみ氏が人懐こい笑顔で出迎えてくれました。 この広さですとガーデニングも十分できそうです。
(平成17年12月3日 長野県佐久市内山)
2005年12月 2日 (金)
2005年12月 1日 (木)
沖縄・首里城(守礼門)
【沖縄・首里城(守礼門)】
「守禮之邦」の扁額がかかる守礼門。 菱川師宣の「見返り美人図」を思わせる琉球衣装のモデルさんが軽く会釈をして通り過ぎていった。
早朝の散歩がてら住宅街を1kmほど上がってきたが、この地の人たちは、旅の私にも気軽に挨拶をされる。 「守禮之邦」 礼節は挨拶に始まるの感、新たなり。
(平成16年11月23日 沖縄県那覇市で)
●こちらの記事もどうぞ → 丸ポストのある風景(軽井沢町・信濃追分)
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