かぼちゃ
外から帰ると、玄関先に美味しそうな “ かぼちゃ ” が三つ並んでいた。
「きっと、シンちゃんのお母さん……」 と家内。 長男の中学時代の同年生のお母さんである。 あれから随分時はたったが、 母さんたちの、ほのぼのとしたお付き合いは今も続いている。
(平成17年10月31日)
外から帰ると、玄関先に美味しそうな “ かぼちゃ ” が三つ並んでいた。
「きっと、シンちゃんのお母さん……」 と家内。 長男の中学時代の同年生のお母さんである。 あれから随分時はたったが、 母さんたちの、ほのぼのとしたお付き合いは今も続いている。
(平成17年10月31日)
わが家の居間に一枚の道祖神の拓本がかかっています。 どこの道祖神だろうかと、長いこと探しておりましたが、最近になってやっと、北アルプス山麓の長野県山形村の道祖神であることが分かりました。
童形の夫神と女神が、仲良く肩を組み手を握り合っています。 なんとも微笑ましい双体像です。 よく見ますと、女神が夫神の手を握っています。 “夫神は気まかせ風まかせ”、 しっかり握っていないと、どこまでもどこまでも~飛んでいってしまいそう …… 女性は、神の世界でも ”かなめ” であるようです。 (―― みなさんのご家庭はどうですか)
(平成13年8月 長野県東筑摩郡山形村)
●長野県山形村小坂の道祖神 : 寛政八年(1796年)建立。 道祖神の前に御柱が立てられていました。 毎年、小正月の頃に子どもたちによって道祖神祭りが行われるとのことです。
【シャンソン】
シャンソンを聴き始めたのはいくつ頃だったのか、はっきりとは覚えていない。 「 あなたがシャンソンを聴くようになったのは、結婚してから……」 と家内。 「 二十の頃には聴いていた……」 と言葉を返すものの、まるで信用がない。
そういえば、当時のレコード盤が何処かにあった筈と探してみたのだが、出てきたのは何故か家内のものばかりであった。
七月、日本シャンソン館で 「パリ祭コンサート」 があった。
館長の芦野先生ご夫妻はますますお元気であるし、若いスタッフの皆さんもいつものように爽やかだ。 中庭のカフェテラスで渡辺美和子さんが演奏していた。 パリの地下鉄駅で聴いたシャンソンに魅せられて、この道に入ったというアコーディオン奏者である。 おさえのよく効いた調べが語るかのようにながれている。
思えば、こうしてコンサートの場にいるのも、どうやら家内のおかげのようである。 仕事にかまけているうちに、知らず知らずに多くの面で彼女のペースに上手にのせられてきた―― そんな感がないでもない。
結婚三十年、人生の哀歓をうたうシャンソンとの付き合いは四十年近くになる。
(13 July 2002 群馬県渋川市 日本シャンソン館にて)
今年の紅葉は大分遅れているようです。 街なかの樹木はようやく秋色を見せ始めたところです。 そんな中で、ひと際あざやかなのは “ ツタ ” ・ ・ ・ 高原の街の秋は、ツタの紅葉で始まります。
ウォーキングを始めて35日ほどになりますが、いろいろな発見があります。 今日、与良町から南町へ下り、小路を駅方面へ抜けようとしましたら大きな建物の前に出てしまいました。 ”GRACE LAND HOTEL”と書かれた看板がでています。 ビジネスホテルのようですが、長くこの街に住んでいて、気がつかないでいた ・ ・ ・ 何か不思議な感じがします。 ホテルは、まだ時間が早いのか、客の姿はなく静まりかえっていました。 玄関前に白いフェンスがあって、ツタがみごとな紅葉をみせておりました。
(平成17年10月26日 長野県小諸市南町)
【北鎌尾根】
二十代前半の頃、 槍ヶ岳の“北鎌尾根”を単独登攀したことがある。 この尾根は、槍ヶ岳(3179.5m)の北東側に鋭く切れ落ちる岩稜で、当時の山岳案内書には、穂高の滝谷や奥又白谷の岩場を経験しているパーティーにだけ許されるルートとある。 『風雪のビバーク』 の松濤 明や、伝説の登山家・加藤文太郎が逝ったのもこの尾根である。 ホームグラウンドである八ヶ岳の赤岳沢や西壁などは幾度か経験していたが、北鎌尾根の登攀にはなお一年余りの期間をおいた。
1968年10月6日の登攀記録 (抜粋) : 天候晴れ。
北鎌沢出合6:00、今日の北鎌尾根は 自分と1パーティーのみ、槍の大岩塔、天空を圧す。 独標に達する頃、ガス出て岩塔をおおい流れくだる。 北東壁ルンゼに入る、ガスますます深く岩壁蒼く沈む、小さな落石二度 右方を掠める、15:07完登。 ブロッケン現象を見る。
山頂は霧がたちこめ、天海の底とでも云うふうな不思議な静寂につつまれていた。 自分の中ですべてが静かな自信にかわり始めたのは、確かにその頃からであった。
(平成14年10月 記)
【 クジャク蝶 (Inachis io)】
太古、八ヶ岳火山群の噴火で生じた安山岩。 130万年の時を秘めたその表皮にとまる一頭のクジャク蝶。 無機なるものの悠久と、生命(いのち)あるものの美しくも儚い夢が、秋の陽ざしの中で交錯している。
(平成15年9月7日 長野県南佐久郡 八千穂高原)
平成15年8月13日。 今朝の新聞が、マサチュセッツ工科大学が発見した“小惑星1998SF36”に日本のロケット開発の父として知られる、故 糸川英夫博士に因んだ “ITOKAWA”の名が付けられたと報じていた。
先生は晩年、信州・丸子町に住まわれていて、私の関係する異業種交流開発協同組合の講演会や研究会にも気さくに応じて下さっていた。 ロケットのことはご自分から話されることはなかったが、未知なる領域への挑戦、そして失敗、無理解による多くの批判や非難の中で、世界に遅れをとるまいとする、一科学者の、国産ロケット開発の軌跡は感動的ですらある。
研究会での、先生とのやりとりは多岐にわたり、失敗論、技術論、ビジネス論、芸術論、果ては人類の未来を見据えた地球論に及んだ。 ご自宅に招いていただき、奥様が握ってくださったオニギリを頬ばりながらの研究会は活気に満ち、皆 楽しげであった。 庭からは東信州の山々がよく見えた。 ご病気のことがあって、余りにも短いお付き合いであったが、多くの示唆を残して去って逝かれた科学者の、静かな語り口 を今も懐かしく思い出すのである。 ―― その後、異業種交流開発協同組合は、多くの開発製品を生み出すこととなった。 写真提供 宇宙科学研究所
●平成17年9月12日、惑星探査機 「はやぶさ」 が小惑星 「イトカワ」 に到達(接近)、科学観測を開始した。 探査機は、平成15年5月9日にM V-5型ロケットによって内之浦宇宙空間観測所から打ち上げられ、857日目にイトカワに到達した。 地球からの航続距離は20億キロという。
【 御牧ヶ原の夕景 】 画像クリック(拡大)
夏の日
御牧ヶ原の夕景にみたのは
北国の叙情 そして
自然への敬虔な祈り
(平成16年9月 長野県 小諸市 御牧ヶ原 狼森にて)
●こちらのブログ記事もご覧ください → 蒼山庵ブログ展(作品集)
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