ちかの五街道/中山道編
(このブログは、旧友 「ちかさん」 からの写真・文をそのまま掲載しています)
「ちかの五街道を走る 中山道 編」 連載中 (随時更新)
日本橋→ 武蔵→上野→ 信濃→ 木曽→ 美濃→ 近江→ 京都三条大橋
六十九宿 百三十七里(538km)
五街道を走るきっかけは箱根駅伝で、毎年お正月を楽しんで観ており自分も走ってみたら面白さが倍増するだろうと思い10区間、往路・復路を2年続けて走りました。箱根の先を走ってみようと思ったのが始まりで、東海道、中山道、甲州街道、日光・奥州街道の五街道を10年かけて延べ日数 64日、総距離数 1500Kmを完走しました。
このブログは、その折々の記録です。 (2026年7月13日 ちか)
※ 中山道姉妹編、こちらもどうぞ → 「廃線ウォーク/旧信越本線 碓氷峠」

【日本橋】 東京都中央区
日本橋は、江戸時代から五街道の起点として交通・物流の要所でした。 現在も日本の道路起点となっていて、橋の中央に日本国道路元標があります。

【神田明神/日本橋→板橋宿】 東京都千代田区
神田明神は、江戸城の総鎭守として幕府や庶民に崇敬されていました。 通勤の人にカメラのシャッターを頼みましたが、皆忙しく4人目でやっと押して貰えました。

【東京大学 赤門/日本橋→板橋宿】 東京都文京区
中山道は、東京大学農学部前の丁字路を右折した所に最初の一里塚があります。

【巣鴨地蔵通り商店街/日本橋→板橋宿】 東京都豊島区
中山道は、とげ抜き地蔵尊のある巣鴨商店街の中を通ります。 商店街は、「おばあちゃんの原宿」と呼ばれて、飲食店・衣料品・仏具などの店が並び庶民的な活気に満ちた街です。 商店街は、早朝だったため店は準備中でした。

【とげ抜き地蔵尊/日本橋→板橋宿】 東京都豊島区
とげ抜き地蔵尊は、御影の紙札を身体の痛む部分に貼るか、飲むと痛みがトゲを抜いたようにひくと云われて人気があります。

【板橋宿 1/縁切りの榎】 東京都板橋区
縁切りの榎は悪縁を断つことで信仰されています。 しかし花嫁花婿には不縁になると嫌われてもいます。 今の榎は三代目になります。

【板橋宿 2/近藤勇の墓】 東京都板橋区
近藤勇の墓は、JR板橋駅東口のすぐ前にあります。 板橋宿は、平尾宿、仲宿、上宿があり、中山道の起点が日本橋でなく此処からなので旅籠も数多く旅人や送迎者で賑わっていました。

【志村の一里塚跡/板橋宿→蕨宿】 東京都板橋区
志村の一里塚跡は、日本橋から3番目の一里塚で道路の左右に榎木を植えた塚があります。 一里塚は、江戸幕府が慶長九年(1604年)日本橋を起点に道路整備を行い、一里毎(約3.9㎞毎)に一里塚が造られました。 その際、徳川家康が役人に 「ええ木を植えよ」 と云ったのをエノキと聞き間違えたため、一里塚には榎木が多いと伝えられています。

【蕨宿/木製のゲート】 埼玉県蕨市
蕨宿の入り口には木製のゲートがあります。 宿場は比較的よく整備されており往時の面影を伝えています。

【浦和宿/調(つき)神社】 埼玉県さいたま市
平安時代の延喜式に 「調神社」 の記載があり式内社に列せられています。 古くは、伊勢神宮や朝廷への調(みつぎ)物を、武蔵国の各地から集め集積した 「御蔵」 ではなかったかとの説もあります。 鳥居がない神社として知られています。

【桶川宿/桶川本陣跡】 埼玉県桶川市
宿場は、江戸時代の参勤交代の宿泊地でもありました。 桶川宿は、加賀藩の前田家や水戸藩主の徳川斉昭、皇女和宮が宿泊するなど、需要な宿場であったことが分かります。

【荒川 決壊の跡碑/鴻巣宿→熊谷宿】 埼玉県熊谷市
1947年9月15日 「カスリーン台風」 による大増水で荒川堤防はこの地点で決壊し、大洪水は3~4日後には東京都内まで達し関東地方に甚大な被害をもたらしました。 " 決壊の跡 " と刻まれた碑は、水害の歴史と、治水の大切さを今に伝えています。

【忍領石標/熊谷宿→深谷宿】 埼玉県熊谷市
忍領石標は、安永9年忍藩と他藩との領地の境界を明らかするために建てた石標で 「従是南忍領」 と刻まれてます。

【深谷宿/西常夜灯】 埼玉県深谷市
深谷宿には東西の入り口に常夜灯があります。 常夜灯はその宿場の入口の目じるしであり、また旅の安全や宿場の安全を祈る対象にもなっていました。

【倉賀野宿/日光例幣使街道の分岐点】 群馬県高崎市
日光例幣使街道は、中山道倉賀野宿を起点にして日光へと通じています。 その分岐点には道標と常夜灯があります。 常夜灯の基台には、雷電や団十郎など沢山の寄進者名が刻まれています。 日光例幣使街道は、東照宮に幣帛を奉納するため例幣使が通った道です。 例幣使は、毎年4月1日に京都を発って中山道と日光例幣使街道を経て4月15日までに日光に着き、東照宮に幣帛 (金幣など) を奉納しました。その後、江戸へまわり幕府の格式高い応対を受けて東海道で京都に帰っています。

【碓氷関所跡/松井田宿→坂本宿】 群馬県安中市
碓氷関所は、江戸時代に東海道の箱根関所、中山道の福島関所と共に重要な関所でした。

【坂本宿】 群馬県安中市
坂本宿は難所の碓氷峠直下の宿場です。 「下木戸跡」の案内版から宿内に入り旧坂本小学校跡や永井脇本陣跡、上木戸跡などを見てまわりました。 往時の面影が比較的よく残る宿場です。

【刎石(はねいし)の覗き/坂本宿→軽井沢宿】 群馬県安中市
刎石の覗きは、坂本宿を出て、刎石山のきつい山道を登り切った尾根上にあります。 ここから見下ろす坂本宿集落の景色は、中山道随一です。 碓氷峠は、「安政遠足 (あんせいとおあし) 」 の道標が要所々にあり迷うことはありませんでした。 木々が濃霧包まれ、鳥の囀りも無く幻想的な美しい静寂したシーンは今まで経験したことのない景色でした。 碓氷峠の頂を目指してひたすら走り峠の上にようやくたどり着きました。
「安政遠足」 は、安中藩主が藩士に鍛錬のため安中坂門から碓氷峠の熊野神社まで走らせた徒歩競走が始まりです。 現在は、「安政遠足侍マラソン大会」 として行われており、今年で52回目になります。

【熊野皇大神社/坂本宿→軽井沢宿】 碓氷峠 県境
碓氷峠の神社は、本宮社殿が県境にあり、長野県側は熊野皇大神社、群馬県側が熊野神社です。 坂本宿を出発してから碓氷峠に着くまでの2時間は誰にも会いませんでした。 神社前で初めて中国人カップルに会い、彼らに撮って貰った写真です。

【熊野神社/坂本宿→軽井沢宿】 碓氷峠 県境
熊野神社は、日本武尊 (やまとたけるのみこと) が建立したと伝わる古社です。 碓氷峠の標高1200mの所にあり、境内には樹齢1000年の御神木があります。

【軽井沢宿 1/軽井沢ショー記念礼拝堂】 長野県軽井沢町
軽井沢ショー記念礼拝堂は、軽井沢最古の教会です。 また、「避暑地軽井沢発祥の地」でもあり標柱と記念碑があります。 軽井沢宿へは、碓氷峠から急な 「碓氷遊覧歩道」 ををひたすら下り 旧軽井沢銀座・ショピングストリートに着きました。
軽井沢宿は、宿場の面影は何一つ見当たりませんでした。
※ちょっと寄り道、こちらをどうぞ → 「廃線ウォーク/旧信越本線 碓氷峠」
【軽井沢宿 2/軽井沢ロータリー】 長野県軽井沢町
軽井沢ロータリーは、軽井沢銀座の入り口にあり、集合場所として良く利用されてます。 沓掛宿へは、左側の道を進みます。

【追分宿 1】 長野県軽井沢町 (写真提供 Sozanan)
浅間山直下の宿場で、旅籠だったのでしょう、所々に出桁造りの家が遺っています。 堀辰雄や立原道造と云った文人が集った文学の地でもあります。

【追分宿 2/分去れ】 長野県軽井沢町
右は、越後へ行くみち、左は、京に行く中山道。 宿場の西のはずれに北国街道の分岐点があり、常夜灯や石仏があります。
【千ヶ滝湯川用水温水路/追分宿→小田井宿】 長野県軽井沢町
御影用水温水路とも呼ばれています。 冷水をゆっくり流して太陽光で温めて稲作に利用する、高冷地ならではの農業施設です。
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