ちかの五街道/東海道編
(このブログは、旧友 「ちかさん」 からの写真・文をそのまま掲載しています。)
五街道を走るきっかけは箱根駅伝で、毎年お正月を楽しんで観ており自分も走ってみたら面白さが倍増するだろうと思い10区間、往路・復路を2年続けて走りました。箱根の先を走ってみようと思ったのが始まりで、東海道、中山道、甲州街道、日光・奥州街道の五街道を10年かけて延べ日数 64日、総距離数 1500Kmを完走しました。
このブログは、その折々の記録です。 (2026年7月13日 ちか)
・更新 2026年 8月6日 NEW 大津宿—京都)
【日本橋 1 】
日本橋は中山道、東海道、甲州街道、日光街道、奥州街道の五街道の基点です。 橋の中央には「日本国道路元標」の刻板が埋め込まれていて、現在も日本国の道路の原点としてその役割を担っています。

【日本橋 2 】
日本橋は、東京オリンビク時に首都高速道路が造られたが景観を悪くして不評が続いていました。橋を昔のままに戻すため地下トンネル化の工事が進められています。

【三島宿/三石神社】
三石神社の境内にある「時の鐘」は、江戸時代、宿場の人々に明け六つ、暮れ六つに時を報せました。

【吉原宿 1/左冨士神社】
東海道は、江戸から京都に行くとき、富士山は、いつも右手に見えますが、ここ吉原宿では、唯一左手に見えるのでこの呼び名があります。

【吉原宿 2】
【吉原宿 3/平家越えの碑】
治承四年、源平の戦いで、水鳥が一斉に飛び立つ羽音に驚いて平家の大軍が戦わずして退却したと伝えられています。

【蒲原宿/東の木戸跡】
【由比宿/由比宿本陣跡】
【薩埵峠 (さったとうげ)/由比宿ー興津宿】
薩埵峠は、由比宿と興津宿の間の峠で東海道の中ても難所で知られてます。また、峠からの眺めが良く眼下に東名高速道路と国道1号が交差し、海のむこうには富士山が望まれる絶景です。 (当日は、霞がひどく景色が見れませんでした。)

【興津宿/清見寺】
清見寺は、徳川家康が幼少期に今川氏の人質として過ごした際、学問を学んだゆかりの名刹です。

【府中宿/石部屋(せきべや)】
石部屋は、安倍川橋の手前にあり 「あべかわ餅」 の元祖とされている老舗です。

【丸子宿/丁子屋】
丁子屋は、歌川広重の 「丸子名物茶屋」 に描かれているように風情そのままの佇まいをしています。 とろろ汁が有名です。

【宇津ノ谷集落 1 (丸子宿—岡部宿)】
丸子宿から岡部宿へは、「宇津ノ谷峠越え」と「蔦の細道」をたどる二つのルートがあります。現在、東海道は宇津ノ谷峠越えをしています。蔦の細道は、在原業平ゆかりの古道です。

【宇津ノ谷集落 2 (丸子宿—岡部宿 間)】
宇津ノ谷集落は、往時の雰囲気を残しており、各家々にはかっての屋号が掛かっています。

【島田宿/蓬莱橋】
蓬莱橋は、大井川にかかる世界一長い木造の歩道橋(897.4m)で、橋の入口にギネス世界記録認定証のレプリカがあります。

【金谷宿/石畳】
【日坂宿/日坂宿の扇屋本陣跡】
日坂宿は、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠33軒と、東海道で3番目に小さい宿場です。

【袋井宿/東海道どまん中茶屋】
袋井宿は、江戸、京都のどちらから数えても27番目の宿場です。
【洋館の旧見附学校/見附宿エリア】
見附学校は、明治8年に建てられたもので、現存する日本最古の洋風木造建築小学校です。

【見附宿/姫街道の道標】
姫街道は、遠州見附宿から三州御油宿に行くときに浜名湖の今切渡しを嫌った女性たちが迂回した道です。

【新居宿/新居宿関所跡】
新居宿関所は、安政二年に建てられたもので、現存する関所はここだけです。

【御油宿/御油の松並木】
御油の松並木は、黒松が600メートル続いており、国の天然記念物になっています。

【赤坂宿/大橋旅館】
【藤川宿/東棒鼻(棒鼻・宿場の出入り口)】
東棒鼻跡は、広重が描いた五拾三次版画を再現したもので長い標柱が立っています。

【宮宿 1/熱田神宮】
熱田神宮は。三種の神器の一つ「草薙剣」がまつられており、参拝客が一千万人ある人気の宮です。

【宮宿 2/桑名の渡し】
宮宿から桑名へ船で渡り七里(約27㎞)あることから、「七里の渡し」と呼ばれています。

【尾張大橋/(宮宿—桑名宿)】
尾張大橋は、愛知県弥富市と三重県桑名市の木曽川に架かる国道1号の橋で、全長879メートルあります。 歩道を走って渡りましたが、その先の長良川に架かる伊勢大橋の方が長く感じました。

【矢田立場跡の火見櫓/桑名宿ー四日市宿】
矢田立場跡は、桑名宿と四日市宿の間にあった、旅人が休憩する茶屋などが集まった所でした。火見櫓は平成になって再建しています。

【日永の追分/四日市宿ー石薬師宿】
日永の追分は、東海道と伊勢に向かう伊勢街道の分岐点にあります。 分岐点には緑地帯がつくられ神水が湧き道標や常夜灯、大鳥居があります。

【杖衝坂/四日市宿ー石薬師宿】
杖衝坂は、日本武尊 (やまとたけるのみこと) が、剣を杖がわりにして越えたという故事が伝わっているほどの急坂です。

【石薬師宿/石薬師寺】
【亀山宿/野村一里塚】
野村一里塚には、幹回り6m、、樹齢400年の椋 (ムク) の巨木があります。
【関宿 1】
関宿は、東西約1.8㎞にわたって古民家が続き、昭和59年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されてます。

【関宿 2】
地区内は、建造物の7割が戦前のもので、223の伝統的建造物があり、景観保存のため電柱・電線が見当たりません。

【片山神社/坂下宿ー土山宿】
片山神社は、鈴鹿明神、鈴鹿権現などとも呼ばれてます。 鈴鹿峠へは、神社の右手を上り「八丁二十七曲がり」と呼ばれる難所です。 また、鈴鹿峠は、東海道五拾三次の三大難所の一つです。(他は箱根、薩埵峠)
【万人請大石灯籠/坂下宿—土山宿】
峠には、万人請大石灯籠が立っています。 石灯籠は、江戸時代に四国の金毘羅神社から持ってきたものです。

【土山宿】
鈴鹿峠を越えると滋賀県に入り最初の宿が土山宿です。 土山宿は、近江五宿の東端にある比較的小さな宿です。 大黒屋本陣跡の端に道標があります。

【水口宿/東見附跡】
水口宿の東端に設けられたので 「江戸口」 と呼ばれています。 見附とは、土居と木戸で囲まれた場所のことで、宿の防御のため宿場の東西にあります。

【横田の渡し大常夜灯/水口宿ー石部宿】
横田の渡し大常夜灯は、東海道が野洲川を渡る 「横田の渡し」 の石造りの常夜灯で高さが10.5メートルあり、東海道最大の常夜灯です。

【草津宿/追分道標・常夜灯】
草津宿は、東海道と中山道の分岐点で、琵琶湖の湖南の要衝として栄えました。 宿場の中心地に 「右 東海道いせみち、左 中山道美のぢ」 と刻まれた高さ4メートルの石造りの常夜灯・道標があります。

【草津宿/草津宿本陣】
【瀬田の唐橋/草津宿ー大津宿】
瀬田の唐橋は、琵琶湖の南端・瀬田川に架かる全長224メートルの橋で、飛鳥時代に初めて架けられたと伝わる東海道の要所です。現在の橋は織田信長の時代に整備され近代以降も架け替えを重ねてきた歴史的名橋です。

【琵琶湖近江大橋/草津宿ー大津宿】
近江大橋は、大津市と草津市を結ぶ琵琶湖上の全長1.290メートルの橋です。

【義仲寺の庭園/草津宿ー大津宿】
義仲寺は、平安時代末期にこの地で非業の死を遂げた木曽義仲を、側室であった巴御前が供養したことに由来します。 義仲の墓は境内の中央に、北隣に巴御前、南隣には芭蕉の墓があります。 松尾芭蕉の墓があるのは、亡くなる間際に弟子達へ 「木曽義仲の墓の隣に埋めてくれ」 と遺言したためと伝えられています。

【山科追分道標/大津宿ー京都】
山科の追分道標は、東海道を大津宿から京都へ向かって逢坂を上がりきって、400mほど行きますと 「みぎ京みち、ひだり伏見みち」 の道標があります。

【三条大橋/京都】
ゴールの京都・三条大橋は、豊臣秀吉が架けてから、現在はコンクリート製になっていますが、欄干の擬宝珠は往時のままです。
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