梅雨の晴間
【梅雨の晴間】
活発な梅雨前線が南下し、夕刻 うつくしい晴間がひろがった。
(10 July 2009 長野県小諸市 御牧ヶ原・狼森にて)
【小麦の丘 Triticum aestivum】
御牧ヶ原をいく 心がユッタリズムになっていく
(26 June 2009 長野県小諸市 御牧ヶ原台地にて)
【麦秋の道】
日輪は北回帰線、麦秋、薄暮の道をいく。
(22 June 2009 長野県小諸市 御牧ヶ原台地にて)
この道
こんなふうに歩くって
こんな景色ながめるって
誰もしらない神様だって
歩いてけば広くなってく空の色
変わってくからどきどき
待ってるの何?
わかんないから歩いてける
(23 June 2009 詩 ルカ)
【ジャーマンアイリスの咲く道 (Iris germania)】
ご近所の方が植える季節の花、ジャーマンアイリスが咲く6月の舗道です。
(3 June 2009 長野県小諸市にて)
【こもれびの池】
開拓の遠い歴史を物語る小さな溜池 ―― 御牧ヶ原・高燥台地を歩きますと、
そんな池のほとりに出ることがよくあります。
(2 June 2009 長野県小諸市 御牧ヶ原にて)
●関連記事 : こちらをどうぞ → 御牧ヶ原
【雨のからまつ林で (Larix leptolepis)】
真直ぐに、それだけでじゅうぶん美しい。
(31 May 2009 長野県南佐久郡 八千穂高原)
【街角の大欅 (Zelkova serrata)】
随分長いこと、人々や街なかの暮らしぶりを見てきました。
佐久甲州街道の辻、樹齢不明の大欅 ・ 神木 「女男木(めおとき)」 です。
(フォトスケッチ : 19 May 2009 長野県佐久市 野沢町にて)
【苗直し】
夕刻の水田に ”苗直し” をする人の姿があります。 浮き苗をチェックして、新た
な苗を手植えする苗直し ―― 昔も今も変わらない作業です。
(19 May 2009 長野県小諸市 美里にて)
幸せは
無心になること
始めること
続けること
終わってもなお
その向こうを夢見ること
(19 May 2009 詩 ルカ)
(各画像クリックで拡大)
『 信濃高原観光アルバム・佐久版 』
・昭和十二年五月二十五日印刷 昭和十二年六月一日発行
・編輯兼印刷 発行者 長野縣南佐久郡小海村四二三八番地 篠原 武
・発行所 長野縣南佐久郡小海村四二三八番地 信濃高原情報社
【信濃高原観光アルバム・佐久版】
先日 ある方が、ブログの参考資料にと小海線沿線の古い観光案内書(昭和12
年発行)を 「読書の森」 へ託してくださった。
折りたたみ式で、表紙(写真左)、小海線沿線の観光物産地図(写真右)、名所
旧跡の写真、八ヶ岳連峯登山概念図からなり、無料で配られたものなのか この
地方の旅館・商店・製材場・地酒などの広告が多数載っている。表紙には野辺山
駅のスタンプが押してある。
昭和12年といえば、支那事変(日中戦争)の勃発、日独伊防共協定の締結、兵
士送迎用ラッパ太鼓隊が各校にできるなど、軍靴の音が次第に大きくなっていった
年であるが、一般庶民にしてみれば、不安を感じながらもその先にあった自分達の
運命や国の行く末までは思いが及ばなかったに違いない。
この案内書からは、そんな時代背景とともに今の時代にも通じる多くのものが読
み取れる気がする。
(平成21年5月6日 長野県小諸市 自宅にて)
【牛と少年】
―― 人なつこい牛たちが、少年たちの方へ上がってきました。
5月5日子供の日の 茶房・読書の森のイベント 「御牧の写真を撮りにいこう!」 私と ”読書の森の犬のノン” が御牧ヶ原を案内しました。
素敵な方々が大勢参加され、たいへん和やかな楽しい催しになりました。
参加されました皆さま ありがとうございました。
丘と森と人々の営み …… 御牧ヶ原の明るく大らかな自然は如何でしたでしょう
か 。 美しい御牧ヶ原の四季、どうぞまたおいでください。
(写真 : 2009年5月5日 長野県小諸市 御牧ヶ原・農業大学校放牧地にて)
●参加されました皆様へ ![]()
「御牧の写真を撮りにいこう展 」 を開きたいと思います。
”楽しい写真” ”素敵な写真” を 「茶房・読書の森」 へどしどしお寄せください。
・写真のサイズ、点数は自由です (裏面にお名前を記入ください)。
・全数展示します。
・5月31日までにお送りください。
【通学列車】
村の役員をして二年目になります。 仕事のひとつに農業用水路の見廻り当番が
あります。 毎朝、水路を点検しながら3Kmほど上流の平原水門まで行きますが、
丁度その頃、小諸方面から軽井沢行の 「しなの鉄道」 がやってきます。
畑中の駅の一時の賑わい、高校生たちの一日が始ります。
(22 April 2009 長野県小諸市 しなの鉄道・平原駅付近で)
【春】 村暮らしは桃の花
(22 April 2009 長野県小諸市 自宅辺り)
それぞれの声を聴け
湧きいずる歓びの声
それぞれの歓びが
重なりて合わさりて
やがて聴こえくる
荘厳の交響曲
(23 April 2009 詩 ルカ)
【お静かに】 信州小諸 桜と浅間山
(それでは) 「 お静かに 」 ――
桜の下で声を交わした年配の方はそう挨拶して去って行かれた。
信州・上田小県地方で使われていた大人の挨拶言葉であるが、聞くのは久しい。
「 お先に 」 と同じ使われ方をするが、相手への気遣いを含んだ床しい響きが何と
も心地よい。
『信州上田付近方言集(昭和7年 上田中学校国漢科編)』 には、方言としての記
載はないから、古くはこの地方あるいは信濃以外でも広く使われていたのかもしれ
ない。 「 お静かに 」 ―― 使ってみたい挨拶言葉の一つである。
(13 April 2009 長野県小諸市 千曲川河畔にて)
【丸ポストのある風景 (小諸市・市町)】 旧北国街道(善光寺街道)小諸宿
―― ふと 懐かしい時代に遇える、そんな通りがあります。
(フォトスケッチ : April 2009 長野県小諸市 市町・旧脇本陣前にて)
● こちらの記事もどうぞ → 丸ポストのある風景(映画ロケ地・信州上田)
【花芽】
丘の大きな木が、シルバーグリーンに光る艶やかな花芽を付けていました。
―― ハクモクレンのようでもあり、コブシのようでもあり、早春の調べのよう
でもある、大きな花芽を付けていました。
(March 2009 長野県上田市 信州国際音楽村にて)
【山は 浅間山】
小諸に赴任した島崎藤村は、風土の観察記録の中に次のような一節を残して
います。
山は 浅間山
川は 千曲川
旅のものは 教師
(参考文献 林 勇 編著 『浅間山と千曲川と小諸』)
東信濃の自然のなかに、自分を見いだした島崎藤村 ―― それはやがて、
あの、山国に暮らす人々の自然と人生を描いた 『 千曲川のスケッチ 』 へ と
つながっていきます。
(フォトスケッチ : 20 March 2009 長野県小諸市 自宅からの浅間山)
●関連記事 : こちらをどうぞ → 浅間山と小諸・島崎藤村
【お稲荷さんへの参道で】
商売繁盛 学業成就 五穀豊穣 家内安全 厄除 天下泰平 etc .
信濃国 鼻顔稲荷大神 ―― なんだか 元気がでてきそうな参道ですね
(フォトスケッチ : 平成二十一年三月 長野県佐久市 鼻顔 (はなづら) 稲荷神社)
●関連記事 : こちらもどうぞ → 狐 (きつね)
【お雛さまの通り】
お雛さま祭り ( お人形さんめぐり ) が開かれている北国街道小諸宿。
旧い商家に伝わるというお雛さまが、平成の通りを静かに見守っておりました。
(March 2009 長野県小諸市 北国街道小諸宿 本町の通りにて)
●関連ホームページをどうぞ → 小諸市北国街道ほんまち町屋館ホームページ
【雪の朝・牧場】
低気圧が日本列島付近を発達しながら通過している。夜には強い冬型の気圧配置
になるという。
春の僅かな気配も雪に埋もれて ―― サイロも、牧舎も、John Deereも 押し黙っ
ている。
(20 February 2009 長野県東御市 御牧ヶ原 南部にて)
【中山道・長久保宿】
宿場通りに通園バスがやって来ました。 迎えはお父さんやお母さんたちです。
みんな一緒に坂道を上がって帰ります。
(February 2009 長野県小県郡長和町 中山道・長久保宿にて)
【浅間山噴火】
午前二時頃、浅間山が小噴火。 噴煙は闇のなかを南東方向へ流れて軽井沢、
群馬、埼玉、東京、神奈川、千葉など各地で降灰があったようです。
山腹に黒々と残るだんだら模様は火山灰 …… 活火山の近くに住むことを改め
て識る一日でした。
(2 February 2009 長野県小諸市 自宅にて)
●関連記事:こちらもどうぞ → 噴火想定 (Oct. 2008)
【芦ノ尻集落で】
海抜850m、道祖神で知られる集落の道を登って行くと、その先は小さな棚田
になっていて、白銀に輝く端麗な 白馬三山 (鑓、杓子、白馬) がせり上がるよう
に見えてきたのでした。
(January 2009 長野県長野市 旧大岡村 芦ノ尻集落 にて)
【小諸の四季】
島崎藤村は風光の観察記録の中で、小諸の四季を次のように記しています。
おそらくは、東京の尺度で解りやすく説明すればということでしょう。
小諸の四季は四月・五月を春とし、六月・七月・八月を夏とし、九月・十月を秋と
し、十一月より翌年三月までを冬とすべし。
冬季は五ヶ月の長きに渡るなり。 春は都より遅きこと一月にして、梅花漸く四月
に開き、秋は都より早きこと一月にして、霜葉既に十月に紅なり。 十月の二十三
日には初霜野辺に至り、十一月の七日には初雪浅間にかゝりぬ。
参考文献 : 小諸市・竹沢書店発行 林 勇 著 『 浅間山と千曲川と小諸 』
一月末、徐々に明るさを増す日射しに春待つ心が段々強くなっていきます。 いち
早く感じる春への気配や、秋から冬への季節の移ろいなど、この地なりの季節感と
云ったものがありますから、小諸の冬はやはり十二月・一月・二月ということになり
そうです。このブログではもっと短いかもしれません。
(22 January 2009 長野県小諸市 古城址・三ノ門)
【大寒の頃・浅間山】
(日本気象協会長野支店発表) 24日、日本付近は冬型の気圧配置となり、上空
には強い寒気が流れ込む。 県内は、北部は山沿いを中心に雪が降りやすい。 中部
や南部は晴れ間がでるが、西側の地域で雪の降る所がある見込み。
夕方、南谷のウオーキングから帰ってくると、吹雪いていた山は晴れ上がっていた。
―― 今夜は凍(し)みるぞ、 きっとね。
(24 January 2009 長野県小諸市 自宅にて)
真冬日のからまつの枝ほぐれし午後
海抜700m 厳冬、この日の最低気温は氷点下9.7℃、それでも午後ともなれば
キーンとはりつめた大気が少しだけなごむのを感じます。
(January 2009 長野県佐久市 長野牧場にて)
【浅間山南麓にて】
浅間山にむかって広々と続く草地、 氷点下7℃ 白さをます噴煙。
今冬、本格的な雪はまだない。
(5 January 2009 長野県北佐久郡 御代田町 (独立行政法人)畜産草地研究所)
【浅間山麓の村から】
今年もブログ 『 信州・浅間山麓から 』 におつき合いをいただきまして誠に
ありがとうございました 来年もどうぞよろしくお願いいたします
良いお年をお迎えください
蒼山庵・蒼山庵内 拝
(フォトスケッチ : 長野県小諸市 自宅から浅間山を望む)
【信州塩田・夫婦道祖神】
「 ―― 家庭円満 子宝の神として信仰され また縁結びの神として信仰厚く
遠方から訪れる人が多い 」 そんな説明板がでています。
冬日、男神女神がほほ笑む山の集落は温かな陽差しにつつまれていました。
(平成20年12月 長野県上田市 野倉集落にて)
【セーター】
「 ト ト ロ !」 小さな子が大きな声で指さした先は私でした。
義妹が送ってくれたセーター …… トトロにはなれませんが、腕をとおせばアンデ
スに生きる民、 天空の地にケーナの音が響きます。
―― 遠い国、ぺルー の、あのアルパカのセーターです。
(29 December 2008 長野県小諸市 自宅にて)
【高原の教会】
高原の簡素な教会
木の十字架 清しい光り
(Jan.'04 長野県北佐久郡 軽井沢町 軽井沢南教会にて)
黙して語らず ただ祈るのみ
(20 December 2008 想う 凛)
【細雪一寸】
降ったのは細雪一寸、 東信濃の特徴的な雪容です。
(14 December 2008 長野県小諸市 自宅にて)
わたしはわたしのところへやってくる人を待っている
そうしてつぶやきやささやきや
歌や吐息を聴くのが好きなのだ
だがこんな日は
たださくさくと
しんしんと
ささざざと
音にならない音を見ていたい
静かで冷たい白の音
(15 December 2008 詩 ルカ)
【杉ノ木のつり橋】
橋の左岸は細い崖道になっていて、その上に広がる段丘の畑地へと続いていま
したが、工場用地、住宅地への転換が進んで、今ではこの橋を渡る農家の人も稀
になりました。
ゆるやかに放物線を描く橋、滑津川の静かな川音、誰もがそっと渡ってみたくな
るような、そんな橋です。
(30 Nobember 2008 長野県佐久市 杉ノ木橋)
【小さなサイロ】
山あいに点在する農家。 明るい放牧地にはたくさんの牛馬の姿があります。
開拓酪農の集落・東立科 …… 入植は太平洋戦争の頃と云いますから、その
歴史は60年を超えます。
集落の入口にはブロック積みの小さなサイロが残っていて、開拓に立ち向かった
往時の人々の息づかいを今に伝えています。
(24 November 2008 長野県佐久市 東立科集落にて)
【中山道・芦田宿】 金丸土屋旅館前
道は、旧い街道筋を笠取峠の方へと続いていた。
往来は、此地の人、遠い時を旅する人。
(November 2008 長野県北佐久郡 立科町・芦田宿にて)
【八ヶ岳山麓の村で】 野辺山原から八ヶ岳 (赤岳・横岳)
山巓秋色、高原野菜の収穫も終わりに近く、大気が日々透明度を増しています。
(12 October 2008 長野県南佐久郡 南牧村・野辺山にて)
【続・小諸市本町界隈】
いかにも古いといった構えの紙屋があって、陳列窓に和紙が掛けてあった。
朱がひと際あざやかだが、総じて 品がまさっているように見えた。
手前に金銀の鶴亀と、松竹梅の手細工が置かれている。
「 結納セットあります 」 と、小さく案内書きがあった。
(平成二十年十月十日 長野県小諸市 本町にて)
【ベニテングタケ (Amanita muscaria)】
北八ヶ岳山麓 ―― 白樺の森の奥深く プティリッツァの森です。
(September 2008 長野県南佐久郡 小海町にて)
【バス停留所】
「 そこは村の中心地です 」 … と 言っても、広い森の中の丁字路にノッポの銀色
の火の見櫓 が背伸びをしていて、その周りに小さな公民館と、バス停と、四、五軒
の民家があるだけなのですが …
でもね、日に何回か、花の名のついた小さなバスが身をゆらしながらやって来る
という そのバス停ときたら、まるで ”メールヘン行停留所 ” と云った風なのです。
(15 September 2008 長野県小諸市 御牧ヶ原にて)
【山なみ】
蓼科山麓のたおやかな台地 …、 伝説の山・独鈷山 …、 松本平と上田盆地を
隔てる青木山脈 …、 そしてはるか日本アルプス(槍穂高連峰)へと続きます。
夕刻の狼森に見る、信州の山なみ四重奏です。
(平成20年9月22日 長野県小諸市 御牧ヶ原・狼森にて)
【村の直売所】
蕃茄 胡瓜 茄子 玉蜀黍 馬鈴薯 獅子唐 茗荷 大根 玉葱 南瓜 莢隠元
紫蘇 陸蓮根 夕顔 西瓜 ・・・
村の入口の直売所、顔なじみの集落の人たち、 朝採りの野菜がならびます。
(平成20年8月 長野県小諸市 山浦集落にて)
【続・千曲川の夏】
「 日釣り券あります 」 「 おとりあります 」 そんな手書きの看板をだしている
川近くの店。 鮎の友釣り … 信州の夏の風物詩です。
(平成20年7月3日 長野県佐久市 塩名田にて)
【生家修復】
昨年来、村の棟梁によって進められていた生家の修復が一段落し、長兄夫婦が
帰省して後片付けをしている。 古くは東向きに建てられたかなり大きな茅葺屋根
の造りであったらしいが、明治初期あるいはそれ以前に今の形に建てかえられた
と伝え聞いている。
信州・塩田平、代々の改修を経て受け継がれてきた生家は、少年期の空気その
ままに遠い時代の息吹を今に伝える。
(平成二十年五月 長野県上田市 塩田平・生家にて)
関連記事 → 赤絵大皿
【校 庭】
その先の峠を越えれば上州である。 山間の急傾斜地に広がる集落を上がって
いくと、小学校の分校跡地という小さな広場にでた。 30mほどのその僅かな平地
は、かつて子供たちを広い校庭で学ばせたいと願った集落の人たちが傾斜地を削
り、苦労して開くことのできた精一杯の広さであるに違いなかった。
閉校になって半世紀に近く、広場からは春の陽を浴びて集落の屋根のひとつひと
つがよく見えた。 遠くで鶯が鳴いていた。
(平成20年4月28日 長野県佐久市香坂 三井小学校香坂分校跡地にて)
【御牧ヶ原】
郷土出版社発行 井出孫六著 『 新・千曲川のスケッチ 』
「御牧ヶ原の四郎大池」 の章より
池の畔にあったはずの叔父の自ら建てた家は跡形もなくなっている。 堰堤から
は、真正面に噴煙をあげる浅間山の全容が千曲川の峡谷をへだてて目に入る。
浅間の容姿は御牧ヶ原からを随一とするとぼくは思った。
―― 叔父四郎が五十八歳というさして長くない全生涯をこの台地の溜池掘り
に捧げたロマンの一端を、ぼくはこの雄大な風光のなかに発見して、しばし時のす
ぎるのを忘れて堰堤に立ち尽した。
●関連記事 : こちらをどうぞ → 開 拓 (御牧ヶ原)
(平成20年4月27日 長野県小諸市 御牧ヶ原・茶房「読書の森」にて)
空は知ってる
何をがむしゃらにやっていたか
水はわかってる
誰がここに導いてくれたか
土は覚えてる
自分が何を支えてきたか
山は
山はじっと見ている
どう始まりどう続きどう終わるか
(27 April 2008 ルカ)
【旧中込学校】
瀟洒な洋風校舎をつつむように咲く桜花。 家内の母校、佐久市立中込小学校
・旧中込学校です。 詳細はこちら → ステンドグラス(旧中込学校)
(23 April '07 長野県佐久市 中込)
【牧場小屋で】
この、外国映画で見たことのあるような農機具は、いったい何という名前なので
しょう。
(April 2008)
ツマサキダチダヨ
ソオットソオット
オコサナイヨウニネ
イマノウチニサ
スッカリカタヅケルンダ
ダッテアノヒトノ
ビックリエガオガダイスキナンダ
(17 April 2008 ルカ)
【高原の牧場】
牧草地に置かれた JOHN DEERE の新しいトラクター、春の作業の始まりで
す。 御牧ヶ原・高原台地、牛飼いの家族が営む牧場です。
(22 March 2008 長野県東御市 御牧ヶ原にて)
【丸ポストのある風景・長野県小諸市市町】
旧い町通りに、偶には手紙をしたため、投函したくなるような、そんな丸ポストが
あります。
(Photo. : March '06 長野県小諸市 北国街道にて)
【山の牧場・三月】
淡く、けぶるような枝を空に向かってひろげる白樺。
三月 … 海抜1600m、山の牧場に春への讃歌が聴こえはじめる。
(25 March '02 長野県上田市 菅平牧場にて)
【続 ウォーキング】
Tドクターの言では、私の歩き方というのは道草のようなもので、ウォーキングなど
とはとても言えないそうです。 まぁ~ このような魅惑的な風光の中を歩くのですか
ら無理からぬことですが、それにしても、格好がつきませぬから、精神を解き放つ
ためのウォーキング … そんなふうに呼ぶことにしました。
(February 2008 長野県佐久市 長野牧場にて)
【享保雛】
娘をおもう親の心は昔も今もかわりません。 信州小諸・本町の通り … いとも
やさしい、江戸期のお雛さまが飾られておりました。
旧い商家が並ぶ通りでは、まもなく お人形めぐり(お雛さま展)が始まります。
(平成20年2月17日 長野県小諸市 本町にて)
【長野牧場と浅間山】
先日、浅間山が最も美しくみえる場所について記事をアップしましたが、この山に
は人それぞれに格別の思いがあるようです。
写真は、長野牧場近くに住む義妹が一番好きという端整な浅間の姿です。
(Photo.: 2 Jan. '05 長野県佐久市 長野牧場にて)
【冬の松原湖】
八ヶ岳の峰々を仰ぐ氷上で、ワカサギの穴釣りを楽しむ人々。 かつて、この氷
上は、大勢のスケーターで賑わっていました。 都会からも、たくさんのスケーター
がやってきたものでした。
白く広がる氷原 … 時代の流れをつくづくと思う休日の午後でした。
(平成20年1月26日 長野県南佐久郡小海町 松原湖にて)
【信州・酒の郷】
蔵元近くの家から、本数限定の、搾りたての生一本を戴いた。 その名も ” 搾っ
たまんま ” 芳醇なすっきりした味わいは、まさに新酒中の新酒である。
信州・小諸佐久地方は、古くから酒造りが盛んな地として知られている。 信州有
数の米どころであり、千曲川水系の良質な伏流水、冬の寒気など、酒造りに適した
自然条件が備っており、また中仙道、北国街道などの交通の要衝として栄えていた
ことが所以である。
蔵元の数は実に十五(下記)に及び、酒好きには何ともうれしい土地柄である。
酒類鑑評会などで有名銘柄を超えるような蔵元も幾つかあるが、PRべたというか
奥ゆかしいというか、余りPRをしないところが、いかにも信州の蔵元らしい。
山謙酒造 大塚酒造 千曲錦酒造 戸塚酒造 武重本家酒造 大澤酒造
協和酒造 古屋酒造 土屋酒造 木内酒造 芙蓉酒造 伴野酒造
橘倉酒造 佐久の花酒造 黒澤酒造
(平成19年12月27日 長野県小諸市 自宅にて)
【雪の夕刻】
クリスマスの頃、この高原台地には、きまって舞い下りるような雪がふります。
雪のやんだ夕刻、冬陽が雪原を薄桃色に染めて沈んでいきました。
(23 December 2007 長野県東御市 御牧ケ原・南部)
【霧氷の森へいく】
遠く、白い森 … 自然がみせる美しい事象は幾つかありますが、浅間山麓の
霧氷もその一つです。
(December 2007 長野県小諸市 菱平)
足を踏み入れてはならない
いや
行くならば振り返ってはならない
振り向くな
振り向くな
進む君の一歩一歩は
凍てついた森に種蒔くのだ
蒔くのだ
いつか芽吹くかもしれない希望の種
(12 December 2007 ルカ)

【つり橋のある風景】
初冬のあかるい空の色を映してながれる千曲川水系・滑津川。 このつり橋を渡っ
た、アカシヤの林の上に住んでいたのは、もう三十年以上も前のことです。
(21 Nov.2007 長野県佐久市 滑津川)
【浅間山と小諸 ・ 島崎藤村】
明治32年(1899年)早春 、小諸義塾に教師として赴任した島崎藤村は、後に小諸
の風光を次のように回想している。
実際私は小諸に行って、饑え渇いた旅人のやうに、山を望んだ朝から、あの白雪の
残った遠い山々 ―― 浅間、牙歯のやうな山続き、陰影の多い谷谷、古い崩壊の跡、
それから淡い煙のやうな山巓の雲の群れ、すべてそれらのものが朝の光を帯びて私
の眼に映った時から、私はもう以前の自分でないやうな気がした。
参考文献 : 小諸市・竹沢書店発行 林 勇 著 『 浅間山と千曲川と小諸 』
今も変わることのない風光、文学と歴史の街、小諸である。
(写真 : 浅間山と小諸 平成19年11月 長野県小諸市 小諸大橋より)
●関連記事 : こちらをどうぞ → 初恋ポスト(まだあげ初めし前髪の……)
【 霧 】
エノコロクサ (Setaria viridis) の枯れた穂を包んだ霧の細粒。
十月も下旬になると、高原台地は冷え込んで、深い霧の朝が多くなります。
(20 October 2007 長野県 小諸市 御牧ヶ原・狼森にて)
【五郎兵衛新田で】
稲刈りが始まりました。 かつては鋸状の刃のついた稲刈鎌でザッグ ザック と一
株づつ刈り取ったものですが、今は大形機械によって あっという間に終わってしま
います。 米どころ・信州佐久平。 遠く 浅間嶺を望む五郎兵衛新田に、風物詩の
長いハゼが並び始めておりました。
(平成19年10月6日 長野県 佐久市 浅科地区)
●関連記事はこちら → 五郎兵衛米
【御牧ヶ原・読書の森界隈】
小諸の街から千曲川を渡り、上ノ平集落を抜けて約半里の急な山道を上りきると、
そこは広大な御牧ヶ原台地です。
道は、白い壁のウッドハウス(読書の森)の脇を抜け、ゆったりとひろがる黒い森
(農大の森)へと続きます。
九月、高原台地は実りの秋を迎えていました。
(平成19年9月29日 長野県 小諸市 御牧ヶ原にて)
【赤絵大皿】
生家を修復するとのことで、夏以降、兄夫婦が帰省しては片付けをしている。 私も
時々手伝いに行っている。
兄は 「 歴史だけはある家だから お宝なんぞが出てくるのでは … 」 などと云ってい
たが、 まぁ~ 信州の、それも山村の小さな集落のことだから期待薄であろうと云って
おいた。
それでも何回目かの片付けを進めるうちに、納戸の奥の方から数多くの御膳や器
などが出てきた。 なかには三、四十 揃ったものもある。 煤けた、江戸時代の調達
年号を記した箱に収納されているものもあった。
それらは、けして上等なものではないが、振舞い用として農家のつつましい暮らしの
中から少しずつ取り揃えていったものに違いなかった。
保存のために整理をするなかで一枚の大皿を記念に貰うことにした。 比較的新し
い時代のものと思われるが、その赤絵からして、おそらくは婚礼などの祝い振舞いに
用いられたものであろうと思われた。 遠い昔に想いを馳せるとき 今に至る譜系こそ
がこの家の宝であろうと思った。
(平成19年9月20日)
【看 板】
すすきの若い穂がさやさやゆれる野原の道に、ろばの看板がゆれています。
あの山猫の 『 注文の多い料理店 』 も近くにありそうな御牧ヶ原界隈です。
(September 2007 長野県 小諸市 御牧ヶ原)
【上州・水澤観音】
上州・榛名山麓、天台宗 五徳山 水澤寺。 坂東三十三ヶ所中 第十六番 水澤
観世音の札所として、庶民の信仰をあつめてきた名刹である。
「 南無千手観世音菩薩 」 安寧を願う人々。 参道に 子供の健やかな成長を願う
若い家族の姿があった。
(平成19年8月 群馬県 渋川市 伊香保町にて)
【三国峠 (1730m)】
切り通しの向こうは武州の空、エンジン音を響かせて一台の車が上ってきた。
武州から信濃へ、この峠を歩いて越えたのは、もう40年以上も前のことです。
(30 May '04 三国峠 : 長野県 南佐久郡 川上村・埼玉県 秩父市)
【開 拓】
御牧ヶ原台地の開拓の歴史は1870年(明治3年)に始まったという。
わずかな天水に用水を頼るしかない この台地には、入植者によって大小400を
超える溜池が築かれたが、旱魃も多く、また標高800mの寒冷地という劣悪な条件
もあって、それは辛苦の歴史でもあったようである。
この台地の農業がようやく安定するのは、1961年(昭和36年)に始まる蓼科山麓
・女神湖からの総延長50Kmを超える導水管が完成してからという。
御牧ヶ原台地に、満々と水を湛える水田 ・・・ 先人が夢みた光景である。
(平成19年5月21日 長野県 小諸市 御牧ヶ原)
【天と地のはざまで】
天と地のはざまで ・・・ 信州・御牧ヶ原台地
耕運機の音が響く 夕暮れの丘、 そろそろ今日の作業はおしまいです。
(平成19年5月15日 長野県 東御市 御牧ヶ原 南部にて)
【浅間山 (2568m)】
佐久平のどこからでも見える浅間山。 この土地の人々が この山を語るとき、
一種、誇りといったようなものを感じます。
(平成19年4月14日 長野県 佐久市 臼田)
【小麦畑の丘】
小麦畑のつづく丘があります。 何故 そう呼ばれるようになったかは、よく分かりま
せんが、 そこには、街からやってきた小さなバスが 折り返していく 「 いちご平 」 と
呼ばれる停留所があります。
(Photo. : 19 March '05 長野県 小諸市 御牧ヶ原にて)
【春の丘】
大きなクルミの木があって、その先に浅間山が見えます。 この丘は、読書の森の
モンデン・キント先生の好きな丘です。
(Photo.: 23 April 2005 長野県 小諸市 御牧ヶ原)
【小諸懐古園オリジナル切手】
今日、日本郵政公社信越支社から、郵便局オリジナルフレーム切手(長野)が発売
されました。” 小諸懐古園 ” の部に、このブログから ” 信州そば畑 ” の写真 (そば
・Fagopyrum esculentum) を採用していただきました。
みなさまのお便りに、信州の詩情を添えてお届けいただければと思います。
( ―― たいへんうれしいできごとでした )
(平成19年4月2日 長野県 小諸市 懐古園オリジナル切手)
●郵便局オリジナルフレーム切手(長野)
http://www.city.komoro.nagano.jp/map/stamp/index.html
http://www.japanpost.jp/pressrelease/s06/yubin/070315_06202.html
●ブログ写真 そば(Fagopyrum esculentum)
http://sozanan.cocolog-nifty.com/mount_/2006/09/post_ea88.html
●小諸市観光協会のページ
http://www.kanko.komoro.org/
白い道 ―― それは 懐かしい時へ つづく道、そんな気がしてくるのです。
(平成19年3月21日 長野県 小諸市 御牧ヶ原にて)
ページが開くと
「白い道」
空、
雲。
雲の道かぁ・・・
ふわふわかなあ
たよりないかなあ
こわいかなあ
きもちいいかなあ
どこにつづいてるんだろうなあ
なあんて
ひとしきり楽しんでいました、うっとり、
春だから。
( 22 March 2007 ルカ )
【ふしぎな地図 (御牧ヶ原)】
いつ、誰が描いたものなのかは よく分かりませんが、一枚の御牧ヶ原の地図があ
ります。
Shiro-oike (四郎大池) や Okamimori(狼森)、 それに ここ Dokushonomori
(読書の森) だって載っていますから、随分よくできた地図だと思っておりますが、不
思議なことに、この地図をみて、まっすぐ目的地についた人は、誰一人いないと云う
ことです。 深い森や林、あかるい丘や キラキラ光る小さな池の畔などを遠まわりす
るといいます。
地図のせいなのか、御牧ヶ原がそうさせるのかは、よくは分かりませんが、この台
地の おおらかさや美しさを知るのは、そんな時です。
(平成19年3月11日 長野県 小諸市 御牧ヶ原 茶房・読書の森にて)
●この記事は、ブログ ” 御牧の丘 倶楽部 ” にも掲載されています。
【慈眼視衆生】
散策道におわす観世音菩薩 具一切功徳 慈眼視衆生
―― まもなく 彼岸の入りである
(平成17年3月11日 長野県 小諸市 南谷にて)
薄くつむられた眼差し・・・だが
生きとし生けるものの喜びを聴く
こぶしの蕾のひらく音を
蝶の夢のひろがる音を
ワタシの心の弾ける音を
( 14 March 2007 ルカ )
【茶房・読書の森で】
終日 風が吹いていた。 クヌギの木が身をゆらし、萱がぼうぼうと鳴っていた。
こんな日 ・・・ 茶房では 会話が弾みます。
(平成19年3月11日 長野県 小諸市 御牧ヶ原 「茶房・読書の森」 で)
●茶房・読書の森 のブログ紹介 → 「 信州小諸 里山の楽しみ 」
尾崎喜八 『 峠 』 終章より
風は諏訪と佐久との西東から 遠い人生の哀歓を吹き上げて
まっさおな峠の空で合掌していた
(Image photo. : 13 March 2001 長野県 軽井沢町 信濃追分)

【教会のある風景・上田市新参町】
小さな村と小学校が子供たちの世界でありましたから、汽車の駅があるその街は
まるで異国のように思えたのでした。
(30 November 2006 長野県 上田市 日本キリスト教団 新参町教会)
【石仏】
S氏から、石仏の写真が送信されてきた。 近くの寺院の名が記されていて
「 散策していると ・・・ 色々なものが見えてきます 」 と、ある。
慈眼視衆生 福聚海無量 観世音菩薩だろうか、穏やかな思惟像である。
(写真 : S氏撮影 平成18年9月16日 長野県 小諸市 鷹取山玄江院)
【高原晩夏・丸ポストのある風景】
深色にしずむ緑、小ぬか雨にバス停の丸ポストが濡れていた。
近くに北原白秋の文学碑があるという。
軽井沢町中軽井沢 ―― 詩 『落葉松』の誕生地である。
(25 August 2005 長野県 北佐久郡 軽井沢町にて)
●こちらの記事もどうぞ → 丸ポストのある風景(那覇市 首里城 守禮之門)
【続・緑の牧場】
牧場の歴史を物語るかのような、古い牧舎の前で、
母さん山羊が草を食んでいる、夏の日の午後 ―― 。
(July 2006 長野県 佐久市 長野牧場)
● リンク記事 : 牧場(童話・星の牧場のことなど)
【湯の道観音】
東部町(現・東御市)の祢津から、地蔵峠(1723m)を越えて旧鹿沢温泉に至る道は 「 湯の道 」 と呼ばれ、古くは湯治の道でありました。 人々は三里の道筋に一番から百番まで、百体の観音像を安置し、道行きの安全と家族のしあわせを願ってきました。
写真は、奈良原集落近くの " 二十二番 ・ 千手観音像 " です。 柔和なお顔で、素朴な彫りのお手が "かに" のように見えることから、「 かに観音 」の名で親しまれています。 今日も、道行く子供たちを、そして人々をやさしく見守っています。
(14 July 2001 長野県 小県郡 東部町 : 現・東御市)
【ステンドグラス】
信州・佐久平のほぼ真ん中に、現存する 「木造の洋風学校建築」 では日本で最も古いといわれる校舎が残っている。 二階造りで、正面にポーチとベランダ、屋根に八角形の尖塔を配した美しい建物である。
鉄道も電燈もない時代、中央から遠く離れた信州の農村で、しかも建てられたのは維新まもない明治8年(1875)というから驚きである。 佐久人の進取の気風と教育への厚い思いが伝わってくる。
階段を上がると、中央廊下の正面に、円形の大きなステンドグラスが子供たちの背丈に合わせたようにはめ込まれている。 外光が赤、青、緑、黄色の光りとなって射しこみ、あたりを照らしている。 ここに学んだ子供たちは、その光りの中に、いち早く新しい時代の到来や、開かれた世界を知り、夢を育んだにちがいない。
この洋風校舎は 「旧中込学校」 と呼ばれ、現在は教育資料館になっている。 国の重要文化財に指定されている。
(31 March 2002 長野県 佐久市 中込)
「 帝國中牛馬会社・小山五左衛門 」 と印された看板。 小諸市与良町・旧北国街道の通り。 町並整備の一環として、かつて、その場所にあった会社名を標した歴史看板のようです。
「中牛馬」。 不思議な言葉ですが、江戸時代、宿駅問屋制度による公的運輸のほかに、農民による、牛馬を使った請負運輸があり、これを 「中馬(ちゅうま)」 と呼んでいたようです。
三州街道(伊那街道)では、信濃の特産物や東海地方の塩、海産物など、生活物資の輸送に、一日千頭をこえる中馬の往来があったと伝えられていますが、佐久地方では、正式の中馬は許可されていませんでした。
明治になって、宿駅問屋制度が廃止になると、それに代わる 「中牛馬会社」が全国で設立されました。 「中牛馬(ちゅうぎゅうば)」 は、いわば当時の業界用語であったわけです。
それにしても、大日本帝國の、帝國の二文字を冠にいただく、この社名は、この地方の運送業を担った人々の意気込みが感じられ、興味深いものがあります。
(平成18年2月23日 長野県小諸市 与良町)
●桜井夫妻からメールがありました。 中馬に係る歴史や文化は、ミュージアムパーク 「伊那谷道中(長野県飯田市)」 へ行くと、詳しくで展示されているとのことです。 中馬の語源は、手馬、通馬、賃馬、中継ぎ馬など諸説があるようです。
中仙道 ・ 塩名田の宿。 御馬寄(みまよせ)の街道を上がりきった台上に
天空を背に坐す、大日如来像。
人々ははるか昔から、その大らかさを愛し幸せを願ってきました。 一切衆生は、大日さまの深い優しさに抱かれています。 合 掌
それにしても この石像は、仏教宇宙観をとらえて見事です。 だれの手によるものなのでしょう。
(平成18年2月 長野県佐久市)
本のお礼ですと、浅科村産の ”凍み豆腐” をいただいた。 農家の副業で作られているという、昔ながらのワラで編んだ一連である。
台所の赤唐辛子と一緒に下げたら、なんだか満ちたりた思いがする。 保存食が持つ、人への安心作用といったものなのだろう。
( 20 Feb.’05 蒼山庵 )
笠原工業株式会社は、バイオテクノロジー・化学・電子の分野で広く活動している会社です。 開発事業の関係でお付合いをして10年以上になります。
先日、製糸業であった時代の「生糸商標(写真原寸)」が、倉庫から出てきたという ので見せていただくことにしました。
生糸商標は、国内の製糸会社が製品である生糸の一束一束に付けた、社名・生産地・品質(等級)等を図案化した品質証紙で、輸出を配慮したものであったようです。
製糸会社は競うように特徴的な生糸商標をつくったと云います。 明治初期のものなどは、コレクターにとってはまさに垂涎の的とのことでした。 この商標の価値はよく分かりませんが、10枚ほど頂戴することにしました。 ノスタルジックな雰囲気が気に入ったので、本の栞にしようと思ったのです。 “猫に小判であれば もっと良い” と思ったのも事実です。
(平成18年1月 長野県上田市)
●笠原工業 常田館・絹の文化資料室
この会社の、明治42年築という洋館(常田館)には、日本の近代化とともに歩んできた製糸業界の貴重な文化資料が保存・展示されています。 またこの洋館は、映画のロケーションや、種々展示会に開放するなど、多くの文化活動に利用されています。 歴史ある会社ならではの配慮に感心させられます。
(写真 : 資料室に昭和天皇皇后両陛下が行幸された時の玉座がありました)
【蚕都の記憶 (繭倉) 】 長野新幹線・上田駅の近くに、旧製糸会社の大きな “繭倉” が残っています。 上田を中心とする上田小県地方はかつて一大養蚕地帯でありました。 上田蚕糸専門学校(現信州大学繊維学部)、小県蚕業学校(現上田東高校)といった、蚕種・養蚕・製糸の専門学校が置かれ、街には製糸場の大きな煙突が並んでいました。
塩田平の私の生家も養蚕農家でした。父親は学校の教師をしていましたから、日々の養蚕や農作業のほとんどは母親が切り盛りをしていました。 それはたいへんな労力で、時々作男の人がきておりましたが、私たち子供もそれはもう懸命になって手伝ったものでした。 春蚕(はるご)そして夏蚕(なつご) ・・・ 桑を食むあの細雨のような音が、今でも耳の奥底で聞こえるような気がします。
先日、会議があって旧製糸会社であった会社へ行きました。 初秋の陽射しの中に ”しだれ桑” の並木が美しく、白壁の大きな繭倉が往時を物語るかのようにそびえていました。 この地方に近代化をもたらし、今に続く諸産業発展のもとを築いた、養蚕・製糸に携わった人々の気概を感じます。
(平成15年9月 長野県上田市)
●この大きな繭倉は現在、製品倉庫として使用されています。旧製糸会社であった会社はバイオテクノロジー・化学・電子の分野で海外へ事業を展開しています。 農林水産省の平成12年度統計は、長野県の養蚕農家は僅か196戸であると伝えています。
上信国境の内山峠(1100m)は、古くは佐久の米と酒、関東からはタバコ、茶、雑貨などが運ばれた交易の峠でした。 江戸・明治の中央文化や情報もまた荷駄とともに峠を越えて佐久地方へ伝えられました。
明治中期、信越線の開通によって、時代から取り残されていった峠は、昭和50年代、車社会に呼応して開削されたトンネルと新道によって、主要道(国道254号線)として再び蘇ります。 行き交うトラックの多さは、まさに現在の交易路です。
秋・・・ 佐久市街から峠への約8Kmの道筋は、地元・内山の人々が丹精をこめたコスモスが、見事な花の帯となって続き、 「コスモス街道」 の名で親しまれています。
緑の山あいに揺れるコスモスの花 ・・・ 、 コスモスはメキシコ原産で、文明開化の頃にヨーロッパから伝わったと云われています。 「信州へはこの峠を越えて伝わったのかも知れない」 そんなふうに思えてきます。
(September 2002 長野県佐久市 内山)
◇千曲川・大杭橋
◇千曲川・もどり橋(明治時代 木製つり橋) ・ 川上純夫氏蔵絵葉書
【千曲川のつり橋(大杭橋)】 写真(上)は小諸市の小原と大杭の集落をむすぶ「大杭橋」です。 下流に橋脚の高さが80mもある小諸大橋ができて、地元の人々が大切にしてきたこのつり橋もその役目を終えました。 橋の袂にはひなびた温泉宿(湯の瀬温泉)があって、千曲の清流に遊ぶ旅人やつり人の姿があります。
佐久地方で千曲川に本格的な橋が架けられるようになったのは明治中期といわれています。 その多くは 「木製のつり橋(写真下参照)」 で、時代とともに、「鉄筋コンクリート門形のつり橋」 へ、さらに 「 トラス、ローゼ、ランガー、箱桁 」 といった構造の近代橋梁へと架け替えられていきました。 小諸懐古園近くの 「大久保橋」や「もどり橋」 のように、かつてその橋がつり橋であったことを物語る、コンクリート製の門形柱や橋脚を残している橋もあります。 脇には大概、旧い記念碑があって、先人たちの橋への強い思いを知ることができます。
30年くらい前までは千曲川の上流や支流にはたくさんのつり橋が見られましたが、今では知る限りではこの大杭橋と、滑津川の 中込橋 ・ 杉ノ木橋 の三つだけになってしまいました。 つり橋がある風景・・・何か心惹かれるものであります。
(平成14年5月19日 長野県小諸市大杭で)
【牧 場】 信州佐久平のほぼ中央に、地元の人たちが「種馬所」あるいは「種畜牧場」と呼んでいる牧場がある。 日露戦争でロシヤ騎兵団の威力を目のあたりにした陸軍が、軍馬の改良を目的に明治39年に「国立長野種馬所」として拓いた牧場だという。
馬と人の絆は強い。 庄野英二著 『星の牧場』 は、第二次大戦で戦地に送られたまま帰ることのなかった軍馬の哀しみと、牧夫の深い想いを綴った童話である。
―― 「 春まだ浅い日の夕方、浅間山の噴火口をずっと離れた横の方から、突然、星が一つとび上がったのを見たのです。空中で二秒ほど光っておりまして、それから消えたのです。 それから私は空想いたしました。あの星の落ちているところにきっと星の花がいっぱい咲いているのではなかろうかと。そういうところから、童話的空想を次第に暖めていったのです 」 著者は作品の誕生(※)をこう語っている。 この作品は浅間山南麓の「御代田(みよた)」で誕生したと云われている。
戦後 「種馬所」 は農林水産省 「長野種畜牧場」 となって、広く畜産振興に大きな役割を果たしてきた。 現在は独立行政法人 「家畜改良センター長野牧場」 として家畜、牧草、種子などの研究や検定が行われている。 約30万坪の広大な敷地は解放されていて、山羊やウサギ、馬を見にくる子どもたちや、牧草地に続くカラマツ並木を散策したりジョギングする人が多い。 浅間山がたいへん美しく見える牧場である。
(April 2000 長野県 佐久市 長野牧場)
(※)参考文献 長野県上田染谷丘高校図書館 1965年刊 『星の牧場』教材版
【北国街道・小諸】 小諸市本町。 旧い商家が軒を連ねる北国街道の通り。
今、小諸では、歴史と文化を活かした街づくりが進んでいます。
「訪れる人にやすらぎを」 そんな街になって欲しいと願っています。
(平成17年11月7日 長野県小諸市本町)
●こちらの記事もどうぞ → 丸ポストのある風景(小諸市 初恋ポスト)
●追 記 (平成18年1月13日)
画家・東山魁夷さんの小画集 『ドイツ・オーストリア』 をみておりましたら、ドイツの
ローテンブルグについて、つぎのような一文がありました。
・・・ いわゆるロマンティシシュ街道の古都ローテンブルグを訪れた私は、若い時に
スケッチした広場の泉を、以前と同じ構図で描いた。 背後にある古い市庁舎は爆撃
で破壊されたのを、以前の通りに再建して壁の古色までつけられている。 私は過ぎ
去った長い年月を忘れる想いであった。 そのローテンブルグの都門の一つには、
歩み入る者に やすらぎを
去り行く人に しあわせを
とラテン語で刻まれている。
私はこの旅で現在の私達の文明の方向と、その激しい速度について、また私自身
の日々の生活と心の在り方について 反省しないではいられない多くのものを感じた。
天台宗大法寺国宝三重塔、建立は鎌倉末期で
あるという。
悠久の時のながれ、 相輪のむこうは東山道、
東信濃の山々。
山間に稲藁を焼く煙があがっている。
(平成16年11月 長野県青木村大法寺)
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