旧信越本線碓氷第3橋梁
【 鉄道遺産 : 旧信越本線碓氷第3橋梁 】 (画像クリック 拡大)
峻険な碓氷峠を縦断する、軽井沢・横川間に鉄道が開通したのは1893年(明治26年)という―― 英国宣教師ウェストンは、著書 『日本アルプス 登山と探検』 の中で次のように記している。
碓氷峠の南の麓にある横川駅で、汽車に乗り込んだ。 この峠を前に通ったときは、鉄道馬車か徒歩で行ったのであるが、今は汽車が開通していた。 私が横川にその前夜を過ごしたのは、この日本鉄道の新しい計画が、どんなふうに建設されたかを、日の光で見たいからだった。 ―― 今日の日本において、世界をまのあたりに、国民的な威信をなおそこなわないで保ちながら西洋文明に同化適応する力を発揮している東方一国民の、類い稀な例証を見ることができる。 その上、この注目すべき民族が、現在では予測できないほど将来豊かに発展することは、ほとんど疑問がない (1893年8月4日)
(Photo.: 25 March 2014 群馬県安中市 旧信越本線碓氷第3橋梁)
●こちらの記事もご覧ください 「常念岳/ウェストン」
http://sozanan.cocolog-nifty.com/mount_/2006/02/post_35d7.html
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コメント
ウォルター・ウェストンは宣教師であるとともに登山家だったのですね。それに彼の観察が的確であるのにも驚かされます。勉強になりました。
投稿: 豆娘とそよ風 | 2014年3月27日 (木) 09:28
豆娘とそよ風 様
外国人による明治期の日本紀行には、市井の人々の品位ある立ち居振る舞いが感嘆をもって書かれています。江戸期に醸成されたものでしょうか。東日本大震災での人々の行動にも通じるものを感じます。
投稿: 蒼山庵 | 2014年3月27日 (木) 21:34