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2006年6月 4日 (日)

アヤメ

02629

【 アヤメ 】

 本の間から、手紙の下書と思えるメモがでてきた ――  家内の父の筆跡である。
 「 ハイビスカスの花を見ると、中部太平洋の戦で、トカゲを喰いネズミを喰い生き長らえた凄絶な日々が思い出される ・・・ 」 と記されていた。
 この六月(平成14年)、義父は八十一歳の生涯を閉じた。 座敷の鴨居に当時の戦闘帽が掛けてあった。 それは色あせて擦り切れ、ところどころに戦地で直したであろう繕いの痕があった。 復員後、工場の経営などで並外れた苦労をしたようであるが、「 この戦闘帽を見ると、どんな苦労でも頑張りとおすことができた 」 と、孫たちに云っていた。 穏やかで実直な人柄であった。 四人の娘は戦闘帽をそっと鴨居から外して父の胸においた。
 告別式の日、遠くから戦友のご家族がみえられた。 中部太平洋・クサイエ島守備隊・連隊本部第一中隊で一緒だった上伊那郡高遠町の前田さんのご家族であった。 義父ら約5千の日本兵は米軍の熾烈な爆撃と艦砲射撃にさらされ、補給が途絶えた島は "飢餓の島" と化していったという。
 前田さんのことはよく口にしていた。生死を共にした同郷の戦友として、またその人柄に格別の思いがあったようである。
 義父の初命日を前に、家内の母と高遠町のお宅を訪ねた。 前田さんは八年ほど前に亡くなられている。 夫人は 「 お父さん 佐久から清水さんの奥さんがおみえですよ 」  遺影にやさしく話しかけるように言った。 そして義母の手をとって、遠いところをよく来ていたいただいたと声をつまらせた。
 ―― 家の周りに、前田さんと夫人が一緒に植えたという アヤメ が咲いていた。
 義父が好きだった花である。

 (29 June  2002  長野県 上伊那郡 高遠町)

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コメント

蒼山庵様、私のブログにコメントありがとうございます。
アヤメの文章に感動しました。
私の亡き父も、兵隊(海軍)に行きました。
戦友の話になると、何か違ったような気がします。聞いたときにはまだ子供だったので分からなかったのですが、今になれば、壮絶の世界に身を置けば、頼りになるのは友だったのでしょうか?
父は、戦場の悲惨さはいっさい話さなかった様に思います。
読ませていただき、親父を思い出しました。
有難うございました。
『白樺』の写真、すごく気に入りました。
どうやって、撮ればこの様になるか知りたいです。

投稿: tokko | 2006年6月 6日 (火) 22:39

tokko様
『アヤメ』への心に響くコメントをありがとうございました。

『白樺』の写真は、構図を水面だけにして、できるだけ単純化して撮りました(ズーム)。 ピントが甘かった分、水のゆらぎが良い感じで撮れたようです。

投稿: 蒼山庵 | 2006年6月 7日 (水) 07:56

 20年ほど前に他界した、祖父は、クサイエ島(現コスラエ島)に従軍しておりました。
 5000人中、日本に帰れたのは3000人で、亡くなった原因はほとんどが栄養失調だったと、幼少の頃聞きました。
 祖父のことを、思い出すことができました。
 ありがとうございます。

投稿: 上籠高志 | 2006年8月15日 (火) 10:19

上籠高志 様
 クサイエ島と、祖父様の思い出のコメントをありがとうございました。
 今日は終戦記念日。 日本の平和を、世界の平和を願いましょう。

投稿: 蒼山庵 | 2006年8月15日 (火) 18:17

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