2006年3月31日 (金)
2006年3月30日 (木)
霜 (三月)
八十八夜の別れ霜という言葉がありますが、標高の高い信州では、八十八夜(五月二日または三日)を過ぎてもなお、晩霜があり、農作物に大きな被害がでることがあります。
晩霜は、移動性高気圧におおわれた快晴で無風の、静かな夜明けに、放射冷却によって地上付近の温度が急激にさがることによっておこると云います。
三月末、近くの果樹園や南谷では春の農作業がはじまりました。
今朝もまた、うす霜がおりました。
(平成18年3月 蒼山庵)
2006年3月29日 (水)
2006年3月28日 (火)
2006年3月27日 (月)
2006年3月26日 (日)
2006年3月25日 (土)
節分草 (Eranthis pinnatifida)
【節分草 (Eranthis pinnatifida)】
花好きの桜井夫妻から誘いがあって、戸倉に節分草を訪ねた。
雪融けの山斜面に咲く、白き花群れ。 春待つ心 満つ。
(平成18年3月25日 長野県千曲市 戸倉)
2006年3月24日 (金)
2006年3月23日 (木)
2006年3月22日 (水)
フォルム
【フォルム】
ドイツデザインは機能美にあると云われていますが、それにしても、この
流れるようなフォルムは、何とも個性的です。
庭先に置かれたドイツ車 ・・・ 50年前、S少年を魅了した 「 フォルクス
ワーゲン BEETLE 」 です。
(平成18年3月11日)
2006年3月21日 (火)
高原
【高原】
海だべがど おら おもたれば やっぱり光る山だたぢゃい
ホウ 髪毛 風吹けば 鹿踊りだぢゃい
(宮沢賢治 春と修羅 第一集より)
( 写真 : 6 March 2004 長野県小諸市 御牧ヶ原・狼森 エッジング処理 )
●こちらの記事もご覧ください → 狼森 (宮沢賢治著 『どんぐりと山猫』 より)
2006年3月20日 (月)
2006年3月19日 (日)
2006年3月18日 (土)
2006年3月17日 (金)
Photograph 1926
【Photograph 1926】
1926年9月、アメリカ合衆国ユタ州ガーランド。 先生と23人のこどもたち、その中にオカッパ頭の日本人の少女(中列・右から2人目)がいる。 少女の名は Kiyoko
Akagi 6歳、小学校入学時の写真である。
時代は、第一次大戦から8年、主戦国の一つであったアメリカや、戦場となった欧州にようやく平和と落ち着きがもどり、日本は大正ロマンチシズムのなかにあった。
だが、やがて起こる経済恐慌、列強の対外政策をめぐる確執、ナチスドイツの台頭、
戦争の影は静かに、再びしのび寄ろうとしていた。
帰国後、莉発でうつくしく成長した彼女は、師範学校をでると、単身、満州国の首都
・新京に赴任する。 当時の国情と外国育ちの彼女にしてみれば、それはごく普通の選択であったに違いない。 同じこの地で教師をしていた私の叔父と出会い結婚するが、平穏な日々は長くはなく、やがて二人は大戦争の渦の中に呑み込まれていく。
2003年秋、叔母の一年忌法要でこの写真を見たとき、この小さなこどもたちに限りない “ いとおしさ ”を覚えた。 こどもたちが進んだ先にあったのは、あの戦争という不幸以外、考えられなかったからだ。
(4 October 2003 東京都港区)
2006年3月16日 (木)
礼服
小諸の住宅街の通りで、テーラーの看板を目にした。 懐かしい思いとともに、ずうっと昔、独身の頃に、東京の叔父が誂えてくれた礼服のことを思い出した。
当時は、スーツや礼服はテーラーに注文するのが一般的であったが、安サラリーではなかなかたいへんであった。
仕立代が月給の二、三倍はしたのである。
叔父に連れられて行ったのは、荒川の堤に近い通りで、丁寧な仕事をするという、職人さんが開いているテーラーであった。 知己の間柄であったようである。
あれから三十五年、叔父も、職人さんも、既にいないが、その礼服は今も手元にある。 シャープな感じと黒生地のつややかさはそのままであるし、内側には私の名前とともに、仕立職人の誇りのように 「 TAILOR KUDO 」 の名が印されている。
彼岸に、叔父の法要を営むとの連絡があった。 叔父が甥のためにと誂えてくれた、この礼服を着て出席しようと思っている。 身体を包みこむように、しっくりなじむ着心地は昔のままである。 私の体形も三十五年間変わっていないのである。
(平成18年3月16日 蒼山庵)
2006年3月15日 (水)
2006年3月14日 (火)
2006年3月13日 (月)
2006年3月12日 (日)
2006年3月11日 (土)
2006年3月10日 (金)
2006年3月 9日 (木)
2006年3月 8日 (水)
2006年3月 7日 (火)
水温む
ネコヤナギ (Salix gracilistyla)
写真提供 : 桜井夫妻
桜井夫妻からネコヤナギの写真が届いた。 千曲川に架かるつり橋 「大杭橋」 で撮影したという。
やわらかな陽射し、水面に踊る光
・・・ 早春の風物詩である。
(平成18年3月5日 長野県小諸市)
2006年3月 6日 (月)
サウンドシステム
【サウンドシステム】
音楽をかけながら、書類のまとめもするといった、ナガラ族の傾向は昔からあったが、先日、PCで資料を作成をしていて、ふと気がつくと、サウンドシステムからはオスカー・ピーターソンが、TVは荒川静香のクールビューティー & トゥーランドット、書類を見ながらキーをたたいている、そのPCからはクレーダーマンのピアノ曲が流れていた ・・・ まさに “ ナガラ族、ここに極まる ” である。 外出から帰った家内に見つかっておこられた。
ナガラ族といっても、”音へのこだわりはある” わけで、4CHのサウンドシステムを構成したら、重量がなんと100Kgに近い代物となった。 重さと音の良さが比例するわけでもないが、時代逆行の ”重厚長大” また良し である。
(平成18年3月6日 蒼山庵で)
2006年3月 5日 (日)
2006年3月 4日 (土)
2006年3月 3日 (金)
モズ (Lanius bucephalus)
【モズ (Lanius bucephalus)】
もずが枯れ木で 作詞 サトウ ハチロー 作曲 徳富 繁
1 モズが枯れ木で鳴いている おいらは藁をたたいてる
綿びき車はおばあさん コットン水車も回ってる
2 みんな去年と同じだよ けれども足んねえものがある
兄さの薪割る音がねえ バッサリ薪割る音がねえ
3 兄さは満州へ行っただよ 鉄砲が涙で光っただ
モズよ寒いと鳴くがいい 兄さはもっと寒いだろ
私が小学生の頃、九歳上の姉がよく歌っていた曲です。 作られたのは昭和10年代で、肉親を戦争に送りださなければならなかった家族の心情そのままに歌われ、戦後、青年団活動などで全国に広まったと云われています。
秋から冬へ、季節が移ろう頃に聞かれる、モズの甲高い鳴声は、肉食のモズが縄張りを主張する ”高鳴き” として知られています。 どこか人恋しい、郷愁を誘うような声です。
隣のリンゴ畑に、今日も、モズが来ています。 早春のモズは寡黙です。
(平成18年3月3日 蒼山庵で)
2006年3月 2日 (木)
2006年3月 1日 (水)
冬越し
【冬越し】
「 コーヒー豆屋・やませみコーヒー 」 が、海抜900mの、別荘地のログ小舎に引越したのは、昨年12月のはじめであった。
冬越しの準備が終わらないうちに、あの猛烈な寒波となったから、随分心細い思いをしたようである。 懸命に小舎を修復し、薪の準備を終えた頃、それを待っていたかのように雪になったという。 ・・・ 「 確かに厳しい冬でしたが、ここ内山では、すべてを忘れさせるような雪が降ります 」 と云って、一枚の写真(上)を見せてくれた。
三月、雪は消え、ログ小舎のある山は雨にけむっていた。 新緑の美しさを
想った。
(平成18年3月1日 長野県佐久市 内山で)




















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