2006年1月31日 (火)
2006年1月30日 (月)
事象波形
【事象波形】
写真は、家庭用の交流100Vをオシロスコープで観測した波形である。
e = Em sinωt で表せる、なめらかに美しく変化する波形、いわゆるサインカーブである。 オシロスコープは、電気電子のほか、振動、変位、歪み、圧力といった様々な事象の観測や解析に用いられる。
自動販売機、NC装置、繊維機械、工作機械、産業機械、流体応用装置、微生物応用装置など、多くの製品開発に携わってきたが、出口がまるで見えないような技術問題にぶつかることも多々あった。 解決の糸口が見つからず、自負心が揺らぎに揺らぐこともあった。
試行錯誤の中で見つめ続けた「事象波形」 ・・・ 。 随分働いてくれたこのオシロスコープもそろそろ交代かと思う。
(Apr. ’04 研究室)
2006年1月29日 (日)
2006年1月28日 (土)
2006年1月27日 (金)
2006年1月26日 (木)
ナツメ (Zizyphus jujuba var.inermis)

Zizyphus jujuba var.inermis
凍みの朝を何度か経験しましたので、少々、小皺がふえましたが、口紅色の艶やかさは健在です。
(平成18年1月26日 長野県小諸市
美里駅近くで)
2006年1月25日 (水)
2006年1月24日 (火)
2006年1月23日 (月)
2006年1月22日 (日)
2006年1月21日 (土)
2006年1月20日 (金)
白鳥(しらとり)
【白鳥(しらとり)】 日本武尊(やまとたけるのみこと)が白鳥(しらとり)になって飛び去った、あるいは飛んできたという “白鳥伝説” は全国にひろく残っています。
白鳥(しらとり)は地方地方で、ハクチョウとも、ハクツルとも、シラサギとも言い伝えられています。
今日、桜井夫妻から、千曲川にハクチョウ飛んできていると、写真メールが届きました。 古人も見たに違いないハクチョウ ・・・ 人々はその端整な姿に 悲劇の英雄の姿を重ね、思いを託したのでしょう。
(平成18年1月20日 長野県佐久市太田部 千曲川)
●千曲川に飛来したコハクチョウ : 桜井夫妻撮影 (佐久市太田部 千曲川)
●白鳥神社(しらとり神社) : 東信州では北国街道・海野宿のはずれに千曲川に面して神社があります。 日本武尊が白鳥になって飛んできて集落で羽根を休めたとの伝説が伝わっています。
2006年1月19日 (木)
凍み豆腐
本のお礼ですと、浅科村産の ”凍み豆腐” をいただいた。 農家の副業で作られているという、昔ながらのワラで編んだ一連である。
台所の赤唐辛子と一緒に下げたら、なんだか満ちたりた思いがする。 保存食が持つ、人への安心作用といったものなのだろう。
( 20 Feb.’05 蒼山庵 )
2006年1月18日 (水)
2006年1月17日 (火)
2006年1月16日 (月)
2006年1月15日 (日)
2006年1月14日 (土)
2006年1月13日 (金)
続・蚕都の記憶 (生糸商標)
笠原工業株式会社は、バイオテクノロジー・化学・電子の分野で広く活動している会社です。 開発事業の関係でお付合いをして10年以上になります。
先日、製糸業であった時代の「生糸商標(写真原寸)」が、倉庫から出てきたという ので見せていただくことにしました。
生糸商標は、国内の製糸会社が製品である生糸の一束一束に付けた、社名・生産地・品質(等級)等を図案化した品質証紙で、輸出を配慮したものであったようです。
製糸会社は競うように特徴的な生糸商標をつくったと云います。 明治初期のものなどは、コレクターにとってはまさに垂涎の的とのことでした。 この商標の価値はよく分かりませんが、10枚ほど頂戴することにしました。 ノスタルジックな雰囲気が気に入ったので、本の栞にしようと思ったのです。 “猫に小判であれば もっと良い” と思ったのも事実です。
(平成18年1月 長野県上田市)
●笠原工業 常田館・絹の文化資料室
この会社の、明治42年築という洋館(常田館)には、日本の近代化とともに歩んできた製糸業界の貴重な文化資料が保存・展示されています。 またこの洋館は、映画のロケーションや、種々展示会に開放するなど、多くの文化活動に利用されています。 歴史ある会社ならではの配慮に感心させられます。
(写真 : 資料室に昭和天皇皇后両陛下が行幸された時の玉座がありました)
2006年1月12日 (木)
蚕都の記憶 (繭倉)
【蚕都の記憶 (繭倉) 】 長野新幹線・上田駅の近くに、旧製糸会社の大きな “繭倉” が残っています。 上田を中心とする上田小県地方はかつて一大養蚕地帯でありました。 上田蚕糸専門学校(現信州大学繊維学部)、小県蚕業学校(現上田東高校)といった、蚕種・養蚕・製糸の専門学校が置かれ、街には製糸場の大きな煙突が並んでいました。
塩田平の私の生家も養蚕農家でした。父親は学校の教師をしていましたから、日々の養蚕や農作業のほとんどは母親が切り盛りをしていました。 それはたいへんな労力で、時々作男の人がきておりましたが、私たち子供もそれはもう懸命になって手伝ったものでした。 春蚕(はるご)そして夏蚕(なつご) ・・・ 桑を食むあの細雨のような音が、今でも耳の奥底で聞こえるような気がします。
先日、会議があって旧製糸会社であった会社へ行きました。 初秋の陽射しの中に ”しだれ桑” の並木が美しく、白壁の大きな繭倉が往時を物語るかのようにそびえていました。 この地方に近代化をもたらし、今に続く諸産業発展のもとを築いた、養蚕・製糸に携わった人々の気概を感じます。
(平成15年9月 長野県上田市)
●この大きな繭倉は現在、製品倉庫として使用されています。旧製糸会社であった会社はバイオテクノロジー・化学・電子の分野で海外へ事業を展開しています。 農林水産省の平成12年度統計は、長野県の養蚕農家は僅か196戸であると伝えています。
2006年1月11日 (水)
2006年1月10日 (火)
2006年1月 9日 (月)
2006年1月 8日 (日)
2006年1月 7日 (土)
コスモス街道・内山峠
上信国境の内山峠(1100m)は、古くは佐久の米と酒、関東からはタバコ、茶、雑貨などが運ばれた交易の峠でした。 江戸・明治の中央文化や情報もまた荷駄とともに峠を越えて佐久地方へ伝えられました。
明治中期、信越線の開通によって、時代から取り残されていった峠は、昭和50年代、車社会に呼応して開削されたトンネルと新道によって、主要道(国道254号線)として再び蘇ります。 行き交うトラックの多さは、まさに現在の交易路です。
秋・・・ 佐久市街から峠への約8Kmの道筋は、地元・内山の人々が丹精をこめたコスモスが、見事な花の帯となって続き、 「コスモス街道」 の名で親しまれています。
緑の山あいに揺れるコスモスの花 ・・・ 、 コスモスはメキシコ原産で、文明開化の頃にヨーロッパから伝わったと云われています。 「信州へはこの峠を越えて伝わったのかも知れない」 そんなふうに思えてきます。
(September 2002 長野県佐久市 内山)
2006年1月 6日 (金)
2006年1月 5日 (木)
2006年1月 4日 (水)
続・見返りの塔
雪の大法寺で (長野県青木村)
●写真をクリックしますと拡大写真になります。
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●大法寺は、大宝元年(701年)創立(寺伝)とされる古刹です。 雪が降りしきるなかを観音堂にお参りをする若者の姿がありました。 お堂には 「十一面観音(重文・藤原時代)」 が秘められています。
●観音堂の上方に立つ 「国宝・三重塔」 は正慶二年(1333年)の建立で、純和様の優美な姿は 「見返りの塔」 として参詣する人々に感動をあたえています。
1333年といえば鎌倉幕府滅亡の年でもあります。 この地を治めていた、幕府直系の塩田北条氏も鎌倉へ馳せ参じて一族とともに滅び去っています。 そんな昔語りをするかのような雪が降っていました。
(平成18年1月3日 長野県 小県郡 青木村 当郷)
2006年1月 3日 (火)
2006年1月 2日 (月)
2006年1月 1日 (日)
謹賀新年
あけましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いいたします
みなさまにとりましてこの一年がすばらしい年であり ますようお祈りいたします
平成十八年 元 旦 蒼山庵
●新春 生け花
長男・嫁 Ritsuko 作



















町角のショーウインドー。 「迎春」 艶やかな赤の垂幕、先代萩の 「松前鉄之助」 がカッコヨク大見得をきっています。 やってきた子どもたちがはしゃいで真似ましたが、なかなか上手にいきません。



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